バルパライソ 世界一汚い世界遺産

4/26(チリ時間)
リアルタイム 4/28(チリ時間)

キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラはその革命前夜に南米を二度旅している。一度目の旅においてチリの港町バルパライソを訪れた彼は、その町について自身の日記にこう記している。

バルパライソはとても画趣に富んでいて、湾に面した海岸に建設されており、街の拡大に伴って、海までつながる丘の方へと這いあがっている。螺旋階段やケーブルカーでお互いにつながっている、螺旋状の奇妙な亜鉛の建築様式は、色とりどりの家々が鉛色に近い青色をした湾と対照をなして落ち着きのない博物館のような美しさを引き立てている。
エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリー』


後にこの街は世界遺産に認定され、現在では世界一汚い世界遺産として名を馳せている。本日はこのバルパライソを訪れる。サンティアゴからバスで約2時間(運賃は往復で530チリペソ=約900円)。バスターミナルを出ると活気の溢れた市場が広がっていた。お腹が空いたので早速肉を喰らう。

1000チリペソ(約180円)。美味。市場から街を見上げる。



市街地の方に歩いていくとこんな街並みに



世界一汚い世界遺産と言われるだけある。落書きだらけなのだが、どこか芸術的だ。そして坂を上って見張らしのいい場所にたどり着く。





バスターミナルへの帰り道で、一瞬海による。



鉛色かどうかはわからないが素晴らしい色である。

ちなみに、医学生であったゲバラはこの地を訪れた際、一人の貧しい喘息の老女を診察している。その時の体験が、貧困に強いたげられた人たちの理不尽な境遇に対する怒りとなり、革命の原点になったとも言われる。今回の訪問ではそこに貧しさというものをあまり垣間見ることはなかった。もちろん家はご覧の通り汚いものばかりだが、そこには何か絶望的なものは感じられなかった。もちろん観光客の目が届かない場所ではより一層の貧困がへばりついているかもしれないが、キューバ革命から約60年、今のこの街はゲバラの目にどう映るであろうか。

サンティアゴ 太陽が北を駆ける街

4/25 チリ時間
リアルタイム 4/27 チリ時間

南米一か国目、チリ共和国の首都サンティアゴにやって来ました。
空港に到着したのは午前9時。両替をすまし、早速市街へむかおうとしていると
「タクシィ↑??」
と懐かしいタクシー勧誘の声。アジアでさんざん聞いてきたが、遠く地球の裏側でも全く同じイントネーションで思わず笑いました。恐らく全世界タクシー協会みたいのがあり、そこで「アホんだらバックパッカーの引っかけ方」みたいなセミナーでもなされているのだろう。声かけのテンションはこんな感じですよ、みたいな。どことなくドライバーのおっちゃんの顔もみんな似ている気がする。ああでも日本のタクシー運転手は話しかけてこないので恐らく除名でもされたのだろう。
もともと泊まる宿を決めていたので、その近くまで行くバスに乗るつもりでした。オンライン情報によるとバスは片道1600チリペソ(約270円)ととても安いので、タクシーに乗る余地はなし。しかしタクシーのおっちゃんはしつこく迫ってくる。こちらも初めて現地人とまともにしゃべるので乗る気はないのだがついつい長話してしまいました。結局タクシーは断ったけれど、丁寧にバスの場所を案内してくれてとても親切なおっちゃんだった。

さて乗り込んだバスは空港を出発。さすがに南米の先進国チリ、ベトナムみたいに空港出た瞬間オートバイマリオカートが始まるわけでもなく、車線を守りながら淡々と目的地に向かう。ついたのは地下鉄Los Hermes駅。泊まろうとしていた宿はここから西に少しいったところにある。そこで「あー今昼前だから太陽が上ってる方が南だな。じゃあこっちが西か」と歩き出すも、手元の地図と見比べてなにかおかしい。そう、ここは南半球。太陽は北中するのだ。途中で気づいてよかった。そんなかんなで目的地のTales Hostelに到着。

アメリカ人スコットの経営するドミトリー型の安宿。日本人も多く利用するらしく、実際到着すると世界一周中だという日本人のおにいさんおねえさんに出会う(名前は聞けなかった)。しかしどうも彼らはその日の3時ごろにチェックアウトしイースター島へ出発してしまうらしい。結局その日の日本人宿泊者は自分一人であった。買い出しに行くというので、彼らについていくことに。そこでこのスーパーは安いとかこの店の料理は美味しいといった有益情報をゲット。おにいさんおねえさん、ありがとうございました。その後彼らに別れを告げて中心街(セントロ)へと徒歩で向かう。治安は結構心配でしたが、サンティアゴはよほど不注意をしていなければ問題なしといった感じ。もちろん気は抜かずに歩を進める。街並みはこんな感じ。

とっても都会。下手したら東京よりも都会じゃないか?平日の昼間なのに人の数もすごい。南北問題という言葉があるが、どうも南米の国には「遅れている」というイメージが付きまとってしまう。しかしそれは「北」の人間のイメージであり、サンティアゴのように少なくとも都市の外見的な「近代度」では決して「北」に劣ってはいない、という場合もある。こういうのはやはり現地に来てみないとわからないところだろう。さて、この近代的なオフィス街を抜けて、おにいさん達に紹介された中央市場で昼食をとることに。この市場にはたくさん食堂があるのだが、僕の姿を見ると一様に日本語で話しかけてくる。どこに行っても日本人はカモなのだ。しかし客引きたちは「ウニ!カイ!アナゴ!」等、どんな具材を使った料理だか日本語で教えてくれる。先人のカモさんたちのおかげで、どんな料理だか分かりやすかった。

Paila Marina(4980チリペソ=約800円)。ボリューム満点の魚介スープで、特に有象無象の貝が無限に入っている。スープは出汁が濃厚でとっても美味なのだが、貝の身自体はあまりにも多く食べきれないほどの量でした。

明日は世界一汚い世界遺産バルパライソに向かいます。

僕にパリが合わない6つの理由

4/24(フランス時間)
リアルタイム 4/26(チリ時間)

この内容はたった一日のパリ滞在をもとにしており、内容もいささか誇張ぎみです。冗談半分でご覧ください。


羽田から11時間のフライトを経てパリへ到着。初欧州!中南米旅行のはずなのになんでパリ?と思われるかもしれないが、トランジットです。4:30に到着して次のサンティアゴ(チリ)行きのフライトが23:00ごろということで一日近く自由な時間があったので、市内観光に出掛けました(ちなみに、帰りのフライトもパリでトランジットなのでもう一度寄る機会があります)。

しかしとても寒い。到着時の気温がなんと3℃。欧州にいまだ春は来ず。とりあえず市街行きの電車に乗ることに。電車はこんな感じ。

普通に行けば50分くらいで市内に到着の予定だったが途中駅でなぜか動かなくなる。車掌がフランス語でなんかアナウンスすると乗客全員ため息を浮かべて電車を降りだした。なんだなんだと運転手に聞くと「なんかもう動かんわ、すまんな」。テロでも起こったんか?と心配したが、20分後くらいに運転再開。その後、目的駅の一つ前で間違えて降りてしまった。どの電車に乗ればいいか駅員に聞こうとして「English OK?」と訪ねるも「No, Italian!!!」と返事が帰ってきた。いやお前の出身なんて聞いてないわ!いやてかイタリア人なの??とか困惑していけど結局は親切に乗るべき電車を教えてくれました。

そんなかんやで、なんとか目的地の Saint Michel Notre-Dame 駅に到着。


いやあマジですごい(ボキャ貧)。ディズニーシーかと思った。で、これがかの有名なノートルダム寺院

お金かかるものだと思っていたら無料で入れました。その後近くのカフェで優雅な朝食を頂く。

とてもおしゃれなんだけれどもいかんせん高い。サンドイッチが5ユーロ(約700円)。親指くらいの大きさしかないコーヒーが3ユーロ(約370円)。アジアの物価に慣れしたしんできた身からすると破格。これだけあればカンボジアで一日豪遊できるじゃないか…。味はまあ、ふつぅ。。
それから徒然に歩きながらエッフェル塔を目指す。道中の景色がどこを切り抜いてもとにかく素晴らしい。

とか

とか

とか…。あれ、全部同じに見えてきたけど気のせいかな?いっこうにエッフェル塔つかないし。歩き始めてはや3時間。いや、マジで疲れた。時差ぼけのせいか瞼も重い。やっとこさエッフェル塔っぽいのが見えてきたが、

まだまだ距離がありそう。ここで疲労と眠さに負け「あんな通天閣みたいなもんどうでもいいわ!!」とご乱心。近くまでいくのは諦め、おしゃれなお店の集うシャンゼリゼ大通りで昼食をとることに。

チーズパスタ、15ユーロ。初めはチーズの濃厚さに舌鼓を打ったが、途中から飽きてくる。まあ高い。店を出てシャンゼリゼ大通りの終点にそびえる凱旋門に向かう。

でかい。インドやラオスで見たパチもんよりも遥かに大きい。まあ感想はそのくらい。上に登ることもできたが15ユーロとお値段がはるため、帰りのトランジットで来たときに取っておくことに。そっから空港に戻る。時間的にはまだまだ観光できたが疲れた。。

こんな感じで僕のパリ観光が終わりました。帰りのトランジットでもう一度来ますが、ひとまずの感想は自分にパリは合わないということ。というのも、

1 物価が高すぎる
まあこれはパリだけに言えることではないと思えますが、殺人的に物価が高い。まともに飯を食べようとすれば15ユーロはくだらない。それでいて味が担保されているわけでもない。ビバ東南アジア!

2 雰囲気がなんか暗い
なんとなくみんなピリピリしているイメージ。アジアの国のような熱気も感じられず、あまり面白くない。全体的にヨーロッパの歴史の重厚性を体現したような重苦しさに包まれていた。

3 建物が全部すごすぎて逆に飽きる
建造物の大きさも美しさもやはり抜きん出ている。パリの街並みを再現しようとしている街は世界中にたくさんあるだろうがオリジナルには絶対に勝てないだろう。ただ見るもの見るものがすごすぎて、いちいち感動していたらキリがないので、なんだかだんだん有り難みがなくなってしまう。街並みにも緩急が重要なのかもしれない。

4 寒い
寒いです。

5 おしゃれすぎる
これは完全に私怨である。おしゃれの苦手な自分にはどこか鼻持ちならぬ。

6 おばさんが全員同じ顔に見える
同じ顔に見えるので、あれさっきすれちがったおばさんがここにもいるぞ、って感じで混乱して空間が歪んでくる。言いがかりです。

こんな感じで自分はパリに向いている人間ではないんだなと感じた。もちろん世界中の人がこぞって訪れる場所なので、ずれているのは自分だとは思うのですが、アジア旅行に魅了されている人には物足りないかもしれません。少なくとも自分のように交通費をけちって何キロも徒歩で進むようなケチな人間には向いていません。ただ、もしもお金に余裕ができたらもう一度きてみようかな。。

さて次はいよいよ南米チリのサンティアゴに向かいます。フライト時間は14時間。。。ちなみに村上春樹の方はギリシアの島に住むことを決めたようです。自分も早く宿に泊まりたい。

中南米を放浪することになった。

というのも、諸般の事情により大学を半年休学することとなり、もて余した時間でどこか旅したいなと思ったのだ。中南米を選んだのは、みんな大好きウユニ塩湖に行きたいというややミーハーな理由もあったのだが、これまで中国→東南アジア→インドと旅してきたので、段階的に次はラテンアメリカだという感じ。

ただ、これまでの旅行と比べても圧倒的に怖い。東南アジアでは猛然と突っ込んでくるバイクと香辛料に、インドではしつこい勧誘と路上の牛糞に気を付けてればどうにかなったのだが、この中南米、色々調べるといきなり首を絞められお金を踏んだ食っていくというではないか。せめて筋骨隆々のスーパーマッチョだったなら狙われる可能性も少ないかもしれないが、女の子みたいなか弱い二の腕したひょろがりが歩いていたら飛んで火に入る夏の虫、あるいは間違ってMLBに放り込まれたツヨシニシオカのようにカモにされるのが関の山である。もし仮に抵抗の可能性を模索するのなら、高校時代野球部だったのでバットさえあればさもありけむと思いしも、やつらは銃を持ち合わせている可能性ありけん。銃弾を打ち返すほどのバットコントロールは残念ながら持ち合わせていないのでご愁傷さまでござる。(そもそもボールすらまともに打ち返せていないじゃないかとの批判は断じてうけつけない)

しかしだ。バックパック旅行は不安を楽しむようなもの。その不安が大きければ大きいほど楽しさも増すに決まっている(はず)。インドにいったときも熱出したりと色々と大変だったが、帰ってから思い出すと本当に楽しかった。今回もきっと同じだろう。帰ってこれれば。。

そんなことなので旅行紀的なものを徒然にかけたらいいなと思っている。文章うまくなりたいし。ゆくゆくは世界一周ブログで食いつなぎ、それがメディアに取り上げられて映画化。一躍時の人となりお金もガッポガッポ。億万長者となり、その資金を使ってプロ野球球団を買収し、念願のGMに就任…。というのも夢じゃないが、そんな不純な動機では決してない。ただただ、文章を書きたいのだ。

ちなみに、今回Amazonでバックパック

を購入し、以前から持っていたナイキのリュックをサブバックとして使っている。前回までは暑い場所を旅行していたので比較的荷物は少なかった。しかし今回は南米の秋から冬にかけての旅行、しかも高所のアンデス山脈一帯を巡るので、冬着が多くなりいささか荷物がかさばった。バックパックの方は重みをあまり感じないように設計されているだけにあまり重量を意識しないのだが、サブバックの方が六部地蔵もびっくりの重みを帯び、先々心配である。

電子用品はiphoneipod(これに財布を加えた三点セットを三種の神器と読んでおります…)、一眼(CanonEOSkiss7)といういつものものたちに加えて、今回はブログを書くということで親からandroidタブレットを借り、折り畳みキーボードも購入した。しかしこのセット、変換昨日がなかなかアレで、「盗難アジア」とか「案です山脈」とか、思わず21世紀の科学の未来を案じてしまいたくなるような代物であった。。


さて、そんなかんやで空港へ向かっている。
時刻は午後7時。土曜のこの時間の京急線羽田空港行き、乗客はまばらだ。特にやることもないので本を開く。

誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、ある一つの時期に達成されるべき何かが達成されないまま終わってしまうことだ。それは仕方のないことではない。


村上春樹『遠い太鼓』、ヨーロッパで過ごした三年間をつづった旅行紀の、冒頭の一部である。別にハルキストではないのだが、今回の旅行と重ね合わせるとなかなか感慨深い内容である。この旅行が果たして「達成されるべき何か」なのだろうかはまだわからない。周りの同期が就活しているなか、のうのうと旅行していていいのかと悩んだこともある。ただ、それが「達成したいこと」であるのは確かな気がする。「行ったことのないとことに行ってみたい」という、コロンブス以来の純粋な思いを満たしてみたかったのは確かだ。

ふと目を外に向ける。走り行く電車の車体が、くたびれた雑居ビルの窓に写る。ここは東京。明日にはもう、ここにはいない。

ページを進める。村上春樹もまた、どうやら旅に出ることを決めたようだ。

そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。


結局こんなもん。「僕には旅に出る 理由なんてなに一つない」ってくるりも言ってたし。




電車の外には、大通りに寂しそうにたたずむすき家の看板が見えた。蒲田を過ぎると、眠たげな幾人かの乗客を乗せて、赤い電車は再び東京の地下へと滑り落ちていった。

4/17

最近読んだ本や聞いている音楽について

椎名誠パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り』

パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

二年前の夏休み、中国上海を旅行した。旅行自体はとても楽しいものであったが、初めてのバックパック旅行であり、不慣れなことも多く、いささか不安な気持ちを終始抱えていた。その折、世界中からバックパッカーが集まる安宿に泊まった。ビルの上層階の狭いスペースを改築したものであり、設備はお世辞にもきれいとは言えなかったが、屋上から上海の喧騒を眺めることができた。エントランスには世界の旅行記がそろった本棚があり、自由に手に取ることができた。その中に、この本はあった。おそらく日本から来たバックパッカーが旅行中に読み終わり、旅の邪魔になって置いていったのであろう。なぜ上海にパタゴニアの本を持ち込んだのかは謎であったが、とりあえず暇であったのでその本を読んでみた。滞在期間中に読破することはできなかったが、遠く南米を旅するシーナの葛藤に、自分の旅先の不安を重ねていたのを今でも覚えている。
帰国後、椎名誠という人物の本を読み漁った。『白い手』とか『トロッコ海岸』といった物語のモノクロの感触も面白かったが、彼の真骨頂はやはり旅行記である。『インドでわしも考えた』『イスタンブールなまず釣り。』『シベリア追跡』...。古本屋で見つけるたびに、数々の優れた旅行記を読んできたけれども、しかし『パタゴニア』だけは出会う機会がなかった。もちろんamazonで頼めばすぐに読めたのかもしれないが、「本屋で会いたい」といういらないこだわりからこれを固辞。しかしとうとう先日、新宿のブックオフで奇跡の再開を果たしたのだ(大げさ)。
久々に読む。相変わらず優れた旅行記であり、すらすらと読める文才もさすがである。しかし、である。この本は単なる旅行記ではない。旅それ自体ではなく、サブタイトル『あるいは風とタンポポの物語り』こそがテーマである、ということに気がついたのは、前回読んだ時からの成長であろうか...。自分のバックパック旅行の原点ともいえる一冊。

平出隆『ベースボールの詩学

ベースボールの詩学 (講談社学術文庫)

ベースボールの詩学 (講談社学術文庫)

野球が好きである。脳内妄想リーグは今年で9年目を迎えた。アイアムクレイジーあばうとベースボールである。そんな自分が古本屋で560円という(自分にとっては)大枚はたいて購入した一冊。

地球の形を見ていて、ふとボールを連想してしまう者は、少なくないだろう。
だが、ボールを手にしていて、ボールで遊びながらの地球一周旅行を思いついたりする者は、そう滅多にいないのではあるまいか。

19世紀アメリカの野球選手、スポルティング一行の世界遠征(といっても、日本には立ち寄っていないのであるが)で幕を開ける。いやそんな時分からベースボールって世界規模であったんかいというのが率直な感想であり、はじめはフィクション小説かと疑ったくらいだ。しかもこの一行、途中エジプトに立ち寄ってスフィンクスの前でベースボールを始める始末。野球狂の自分もさすがにドン引きの荒唐無稽ぶり。当時の写真の開設には「現地の人々が、呆れてこれを眺めている。」とある。残念なのは日本に立ち寄らなかったこと。当時、明治22年。正岡子規が「ノボール」と戯れていた時期である。スポルティング一行が仮に極東の島国を訪れていたら、今の「野球」はもう少し違うものになっていたかもしれない。
ベースボールの起源には諸説ある。「1839年にアメリカ人ダブルデイがクーパーズタウンで考案した」という説が一度定説となったが、これはねつ造であったことが判明する。他にもイギリスの球技ラウンダーズや植民地時代のワン・オールド・キャットというゲームに由来するという説があったが、本書ではその起源をなんと古代エジプトに求める説も紹介している。古代エジプトの豊穣の祭式にバットとボールの起源があったというのだ。大航海時代コロンブスキューバを「発見」した際に、現地人が果実を投げたり打ったりして遊んでいたことが知られており、この「バトス」と呼ばれるスポーツこそ、野球の起源なのだということを前に聞いたことがある。その意味で、ベースボールというスポーツは意外と普遍的な行為なのかもしれないなと感じたりもした。

ヘミングウェイ老人と海

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

キューバという国に興味があった。常夏の海、街中を駆け抜けるクラシックカー社会主義の独特な雰囲気。バックパッカーにとって、そのカリブ海の島国は、異世界の象徴としての憧れの地であった。それゆえこの人類的な古典(とされるもの)を読んでみたのは、ヘミングウェイという稀代の作家に興味があったのではなく、単にその舞台がキューバであったからというだけであった。150円で売られていた、というけっちい理由もなくはないが...
正直に言って、物語自体はそこまで面白いものではない。カリブ海に独り浮かぶ老人と魚との格闘劇が延々とつづられている、そんな小説である。しかし、読み終わっていくばくも時間が流れても、記憶の中にそこで描かれた格闘のイメージを思い出せる。その点はさすが教科書に載るだけの古典である。そして、訳者福田恒存の解説も読みごたえがあった。彼によると、ヨーロッパは歴史という時間に支えられており、ヨーロッパ文学において、人々は過去という時間に縛られた関係性と、近代の個人主義のはざまで葛藤する。そこにヨーロッパ近代文学の魅力がある。それに対して「歴史を持たない」アメリカにおいては、無限(と思われた)の空間というものが時間の代わりをなすがゆえに、ヨーロッパ文学のような「個」の葛藤を表現できない。そこでヘミングウェイは「個」の葛藤という魅力の欠如をストイシズムによって乗り越えようとした。すなわち、ヨーロッパ的な歴史・人間関係にではなく、個が敵に打ち勝つというギリシア的カタルシスに価値観を置いている。本作においては老人の帰還がそれにあたるのであろう。文学の解説というのは、いかにもこじ付け的なものが多く、あまりなれたものではなかったが、この解説は例外的にしかりと読みごたえがあった。
さて、肝心のキューバについてであるが、老人と少年の会話などで1950年代のキューバでの野球人気が鮮明に描かれていた。現在でも「アマチュア最強」とさけばれる野球大国キューバの過去が垣間見れたのは面白い発見であった。ぜひともキューバに行ったら、現地の人々と野球談議を交わしてみたい(その前にスペイン語を覚えなければ...)

スピッツ『名前をつけてやる』

名前をつけてやる

名前をつけてやる

物心ついた時からスピッツを聞いていた。草野マサムネに育てられたといっても過言ではない。好きな音楽は?と聞かれたら迷いなく「スピッツ」と答え、「ああ、チェリーいいよね(棒)。(そんなJPOPなんてどうでもいいけど、)ワンオクとか聞かないの?」みたいな反応を何度もされてきた。それでもスピッツを聞き続けた。そして今、このセカンドアルバムが再びマイブームである。
なんともメルヘンチックであり、そしてまた文学的だ。星新一的な、日常に忍び込んだSF作品。たとえば「日曜日」では「晴れた空だ日曜日」といういかにも日常的なフレーズから歌い出しで始まるが、すぐに「戦車はふたりをのせて 川をのぼり峠を経て 幻の森へ行く」と続く。「鈴虫を飼う」といういかにも自然主義的タイトルの曲も「乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ そいつが言うように 見つけた穴から抜け出して」。「ミーコとギター」でも「ミーコの彼はミーコの彼じゃない 誰も知らない」だって。なんだか頭がふわふわしてくる。こりゃあ「マサムネ、ヤクやってんじゃないの」と疑われてもしょうがないなって感じ。それでも曲は全部ポップスとして成り立っているから不思議だ。そして草野マサムネの文才が最も爆発しているのが「プール」である。

独りを忘れた世界に 水しぶき跳ね上げて
バタ足 大きな姿が泳ぎだす

どうでもいいんだけれども、ラストトラックの「魔女旅に出る」のラスボス感は尋常じゃない。YUKI『WAVE』における「歓びの種」と同じく。わかる人、いるでしょうか?

松田聖子『Seiko・plaza』

Seiko・plaza

Seiko・plaza

アルバム、というよりは「赤いスイートピー」と「SWEET MEMORIES」ばかり聞いていたけれども。この二曲の名曲度合はすさまじい。説明の必要はないかもしれないが両曲とも作詞は松本隆*1。その歌詞はもちろん素晴らしいんだけれども、それを見事に歌いこなす松田聖子という歌い手もまた一流でである。特に

このまま帰れない 帰れない
 
赤いスイートピー

の「まま」の歌い方が好きだ。ちなみに当時の松田聖子と今の厚化粧おばさんは別人です。
  
  

*1:この人、草野マサムネとともに「水中メガネ」という名曲も作っている

原田晃行『ホワイトチョコ/ホワイトレート』

原田晃行『ホワイトチョコ/ホワイトレート』発売ライブをお目当てに、ココナッツディスク吉祥寺店に行ってきた。相変わらず最高のアクト。「誰?」という人が大多数だと思うが(失礼)、今日は原田クン(年上だけど)と、彼が所属するHi, how are you?(ハイハワ)というデュエットの音楽の魅力について紹介したい。

Hi, how are you?


ハイハワは、ギター・ボーカルの原田クンと鍵盤ハーモニカの馬淵さんによるデュエット。2014年に三枚のアルバムを残したが、馬淵さんが就職することになり、その後2015年にカバーアルバムを出して活動を休止。現在、原田クンはソロを中心に活動を行っている。

日曜のサザエさん

小さい頃、一週間で一番楽しかった時間はドラえもんを見ている時だった気がする。それは単にドラえもんが面白かったからだけでなく(それも多少はあるかもしれないが)、金曜の夜という放送時間ゆえであった。学校も終わり、明日から楽しい週末だというワクワク感。それに対して、日曜の夜は何とも憂鬱であった。ハイハワが歌ってきたのは、そんな「終わってしまうこと」への寂しさである。

出口のない日曜日のさみしさ サザエさんがおわる

それでも、時間が過ぎ去ることは止められない。そのことはわかっていながらも、

もっとこのままでいてほしい、なんて 無理なのにね

ときどき自分が不安になるよ
いつまでもこのままでいようよ だいじょーぶ

と歌って、終わらないでいてほしいと願ったりもする。

おわっちゃった夏のハーゲンダッツ

女1、男1の二人組。

借りパクした漫画や延滞した映画、おわっちゃった夏のハーゲンダッツやイーニドがバスから見た景色をうたいます。

Hi, how are you?の公式プロフィール。「おわっちゃったこと」へのノスタルジー。でもそれは、単にあのころはよかったという懐古ではなく、何かをやり残してきた過去への想いである。そのことは、セカンドアルバム『さま〜ぎふと』の先頭曲「NIGHT ON THE PLANET」で

時計を止めて 針をもどして 懐かしい景色の中に
忘れてきた 花ひとひら ゆらめく夏

と歌われることによくあらわれている。「おわっちゃった夏」への想いを乗せて、原田クンは歌い続ける。

馴染めなかったやつを、ぐっとさせたい

正直、ハイハワも原田クンのソロにしても、かっこいいバンドサウンドではないし、流行りの音楽を取り入れた前衛性もない。一般受けもしないだろうし、フェスとかで華やかに音楽を消費できるような人にもあまり理解されないような気がする。でも、まわりの音楽の趣味に合わせられないような人はドはまりするかもしれないなー。その理由はなんでだろうと思っていたら、ツイッターでの原田クンのこのように呟いていた。

学校という空気に馴染めなかった人たちとその思いを意識した音楽であったのだ。チャゲアスの良さをだれも理解してくれなかった自分の中学時代を思い出してしまった。そういえば自分が好きな音楽を共有してくれる人が周りにほとんどいなかったな。だからこそ、自分の好きなものを発信する場としてブログを書き始めたんだけれど。それはたぶん原田クンも同じで、100人いたら99人に理解されなくても1人にわかってもらえればという感じなんだろう。カバーアルバム『Hi,Ppopotamus How are You?』

で、RCサクセションをカバーして

この歌の良さがいつかきっと君にも
わかってもらえるさ

と歌っているのもエモい(使い方あってる?)なあと思ってしまいます。

『ホワイトチョコ/ホワイトレート』

そんなハイハワの活動に一区切りをつけ、原田クンはソロで活動を続けている。そして今回出た新譜が『ホワイトチョコ/ホワイトレート』。

馬淵さんの鍵盤ハーモニカはなくなってしまったが、原田クンのソングライティングは健在。特にラストの「アーモンドクラッシュ」はPV(?)もろとも素晴らしい。

でもやはり、鍵盤ハーモニカのメロディがないことに寂しさを覚えてしまう。今までは当たり前のように存在した馬淵さんの空白を背負いながらの演奏。しかし皮肉にも、原田クン一人になったことでハイハワは完成したんじゃないかな、とも思う。もちろん馬淵さんがいらなかったということでは断じてなく、彼女がいないことで原田クンの「おわっちゃったもの」への想いが体現されているような気がする。今回収録されている「パピコ」という歌でも

ずっとじゃなくていい
今だけでいいから

と歌っているのが印象的だった。彼女を思っての歌ではないのかもしれないけれど。

魯迅『故郷』

魯迅『故郷』を読んだ。

阿Q正伝 (角川文庫)

阿Q正伝 (角川文庫)

題名だけみると郷愁の想いをテーマにした物語に思えるが、この作品で描かれる「故郷」は、単に「あのころはよかった」という文脈で語られる「故郷」のことではない。「あのころ」は過去に消え去り、残ったのは「変わってしまった故郷」と「私」であった。

私は今度、本当は故郷に別れるために帰ってきたのである。
 

生家を明け渡す母を手伝うために帰還した故郷で「私」が再開したのは、思い出の中にある美しき故郷ではなく、落ちぶれた隣人であり、家を捨てることとなった母であり、そして変わり果ててしまったかつての親友であった。

彼は突立ったままである。顔にはうれしさとかなしみの気持ちをうかべて、唇をうごかすだけで、かえって何も声が出ない。彼の態度はやがてつつましやかになって、ハッキリといった、
「旦那様!・・・・・」
私は寒気のするような気持になった。私はわれわれの間はもう何か悲しむべき厚い壁によって隔てられていることを知った。私は何もいえなかった。

「私」の記憶の中で輝く、親友とのかつての友情は、身分という現実にからめ取られてしまった。故郷を発つとき、「私」は名残惜しさを感じなかった。美しかった故郷はもうそこにはない。希望は故郷にも過去にもなく、自分の手で作り上げていくものだと悟り、「私」は故郷を後にする。

「叔父さん、私たちはいつ帰ってくるの?」
「帰ってくる?まだ行きもしないのにどうして帰ってくることをお前は考えるのだ。」
   

私は思った、希望というものはもともと、いわゆる有ともいえないし、いわゆる無ともいえないのだと。それはちょうど地上の路のようなものだ、実際には地上にはもともと、路と言うものはなかったのを、歩く人が多くなって、そこが路になったのである。
   


少しわき道にそれるが、かつて大塚英志は『仮想現実批評』において、ノスタルジーを通過儀礼にたとえた。過渡期の心身ともに不安定な時期に、自己の経験を振り返ることで自己連続性を保証するものとしてノスタルジーをとらえる。そして、前近代において人生の転機に必要となっていたイニシエーション(通過儀礼)との相似性をそれに見出したのだ。過去を故郷と読み替えれば、「故郷」への「私」の凱旋と失望は、近代という激動の時代にいままでの価値観や環境を壊された人々の物語であり、その意味で人々の近代への「進歩」を促す通過儀礼的な作品として見ることも可能であろう。実際に近代化論者であった作者もそのようなテーマを意図していたのかもしれない。

仮想現実批評―消費社会は終わらない (ノマド叢書)

仮想現実批評―消費社会は終わらない (ノマド叢書)

ただ、そんな小難しい話を持ち出さなくても、この物語は「変わってしまったなにか」に寄せる儚さと憧れの、見事な表現にこそ醍醐味があるのではないかと思う。

私の覚えている故郷は全くこのようなものではなかった。私の故郷はもっとよかった。だが私はその美しいところを思い起こし、そのよいところをいい出そうとすると、どうもハッキリした影像はつかめず、言葉はないのである。何となくそんなところだという気もする。そこで私は解釈した、故郷とは元来こんなものだ、
    

結局思い出なんて自分の都合に合わせたものでしかない。「あのころはよかった」なんてみんな言い出すわけだが、実際にタイムスリップしてみても、どう思うかわからないだろう。でもたしかに、現実が変わってしまったから、「あのころ」にはもう戻れない。戻れないものに、人は美を覚える。思い出は、変わってしまうからこそ、美しいものなのかもしれない。そんなことを考えてたら、好きな曲の一節を思い出した。 

変っていく空の色と
消えていく大好きな匂い
だけどこんな日にはせめて
僕のまわりで息返し
  
 「晴れの日はプカプカプー」