スピッツ『オーロラになれなかった人のために』

オーロラになれなかった人のために

オーロラになれなかった人のために

 

 エスキモーの言い伝えによると、死んだ人間はオーロラになるという。「オーロラになれなかった人」とは、「死んでも死にきれなかった人」であろうか。死と生の境界線は日常の感覚よりもはるかに曖昧で、その間を魂は簡単に飛び越えていく。それは生から死への一方向だけでない。逝っちまったあいつのことを想うとき、そいつはひょっこり蘇る。そう信じていたいし、思い出すことがこっちに留まる人間の役目では。なんだか説法みたいになってきたが、別に新興宗教を開いて一山の財産を築こうとか思っているわけじゃなく、ぽえまーとして認めてほしいわけでもなく(多少の承認欲求は認める)、ただ単純に色んなことを忘れずに長生きしてーなーってこと。草野正宗が歌っているのも、多分そういうことなんだろう。

今日一日だけでいい 僕のとなりでうたっていて

 

うみねこ

前田司郎「愛が挟み撃ち」

文學界掲載の前田司郎「愛が挟み撃ち」を読んだ。

文學界2017年12月号

文學界2017年12月号

 

「愛の挟み撃ち」ではなく「愛が挟み撃ち」であるところがまず信頼できる。二人の男の愛に板挟みにあう女みたいな学芸会レベルの発想を、それは許さない。確かに登場するのは二人の男と一人の女であるが、そこでは愛はそれぞれの人間の専有物ではない。実存の関わり合いの中にだけ、愛はある。そしてその愛を信じる男と、信じない女の間に生まれた「本物」の愛。破滅が待っている気がする。とにもかくにも、平凡の外側で展開される平凡な物語。もしかしたら、芥川賞

三島由紀夫『仮面の告白』

本日快晴。外では木枯らし一号が吹き荒れる。真っ青に晴れた高い空の下で、冬の訪れを感じさせるカラッとした北風に吹かれる瞬間の感情。夏の反対側に来てしまったという悲しい喜びが、憂いの光を浴びた冷たい頬を染めていく。こんな気持ちをみんなと分かち合いたいと思うのだけれども、社会側の感動のコードに合致しないのではないかという不安。同時に、この良さが分かるのは自分だけだという傲慢さを感じさせてしまうのではないかという不安。僕らは黙る。そして、一瞬の感情は消えていく。

仮面の告白 (新潮文庫)

仮面の告白 (新潮文庫)

 

三島由紀夫仮面の告白』は、そんな声を与えられてこなかった記憶や思索、感情に命を与える魔術書なのかもしれない。生まれたときの光景を今でも覚えていること、糞尿汲取人にあこがれること、「殺されること」に性的興奮を覚えること。そんなことを現実で言い張れば、良くて「変わった人」、悪ければ「狂気を装う社会不適合メンヘラ」として煙たがられること間違いなし!そういう「おかしな」感情を抱いてしまう僕らは、常識の世界の人間という「仮面」を被って社会で生きていく。それでも、やっぱり自分抱いた感情は大事にしたいと思うから、僕らは「まじめな人」よりも「変わった人」に憧れる。なぜなら「変わった人」は、おかしな感情をうまく発露できるひとだから。

諸君は常識の世界に住んでいながら、非常識の世界に憧標れている人々である。

ドグラマグラ

その意味で三島由紀夫は、おかしな感情をふさわしいメディアで、ふさわしい時代に、ふさわしい方法で世間に伝えることのできた、最強の中二病だったのである。

 

余談にはあるが古本で購入した本書の中に面白い書き込みがあったので一応載せておきます。

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前野ひろみち『ランボー怒りの改新』

蘇我入鹿ロケットランチャーをぶちかますこの本を、読んだ人間の十人に八人は阿呆の世界だと表現するだろう。あとの二人は阿呆である。

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

 

 私事であるが奈良に行った試しがない。京都のバーターとしての修学旅行先という鉄板の出会いを果たすことのなかった奈良と私は、月日が流れても交わることがなく、大仏の御姿もシカの闊歩もついぞ拝んだことがないまま過ごし、思えば関西で唯一行ったことのない県になっていた。別に奈良に興味がなかったわけではない。何度か行ってみようかしらと脳内会議にかけたことはあるが、「奈良?ああ劣化版京都でしょ」という脳内冷笑派議長の主張を論破することができずことごとく退けられてきただけである。まあ少なくとも、仮に宇宙人が攻め込んできて都道府県のうち一つを割譲しなければならない事態になったら平気で差し出す心構えはある。奈良と私はその程度の間柄だ。そんな奈良が気になる存在になったのは、一冊の本に対するある作家の推薦文を目にしてからである。

森見登美彦*1氏、激怒!?
「私の奈良を返してください!
さすがにこれはいかがなものか!」

なんだこれは。推薦しているのか非難しているのかすらよくわからんが、これは確実に阿呆の匂いがするではないか。読んでみるとやはり期待を裏切らない。法興寺フットボール大会でタッチダウンを決める中臣鎌足も、恋文をシカに食べられる中学男子も、岩場でダンスして転落する親父も、根っからまじめなのに「小説とは病的なものである」と思い込んでいる文学青年も、みんな阿呆。そしてそれらはすべて、奈良という土地の上で展開される。そんな阿呆製造工場的風情を醸し出す奈良に、ほんの少しだけ行ってみたくなったのである。

*1:余談だが、本作品が同人誌に掲載された際、「あの作家なのか?夜は短いのか?」という問い合わせが相次いだというエピソードがとても面白い

佐藤正午『月の満ち欠け』

輪廻というものがあるかと問われたら、何と答えるだろうか。「科学的」に答えるのならば、そんなものはないよとうそぶくほかない。死とは、向う側のない完璧な絶望である。人間は死んだら、一つの肉塊となるのだから、脳の活動停止とともに魂も消えるし、魂が何かに乗り移るということは絶対にありえないと、今世紀を生きる科学の子たる僕らはそう答えるであろう。それでも、それは科学という認識の中での話にすぎない。精神の世界で、輪廻というものがあればそれはそこに現れる。「ない」ものも「ある」と思えば、それは「ある」のだ。そんな世界も面白いのではないか。

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

 

 第157回直木賞受賞作『月の満ち欠け』。自分の子どもが誰かの生まれ変わりではないかという不気味な重低音を響かせて進むこの物語は、ありきたりな男女の出会いを源流に、月の満ち欠けのように生と死を繰り返す一人の女性の魂が途中様々な人たちの人生を引っ掻き回しながら、海へと流れていく有様を描いている。或はそれは海には流れず、だまし絵のようにまた源流に戻っていくのかもしれないが、とにかくその原動力は純愛と盲信である。女は「試しに死ぬ」ことで、再び男と会えると信じていた。生まれ変わりは、「死=無」という絶対的運命に抵抗した小さな英雄へのちょっとしたご褒美だったのかもしれない。もちろんそれは生に対する冒涜だという非難もあるだろうが、死んだ後も世界は続くという救い(あるいは絶望)を持つ権利は誰にでもあるはずだ。

直木賞選考委員会から指摘されている通り、最後の章は不要であったようにも思えたし、そもそも何度でも生まれ変わる女というのは気味が悪いという批判もあるかもしれないが、それらを差し引いても読者にページをめくらせるエンターテインメント性を有したたぐいまれ無い傑作である。そして、生と死について、この世界について、思いを巡らせると、こんな考えにぶつかる。今を生きるみんなが誰かの生まれ変わりで、人はそれに気づくことなく―あるいは、気づかないふりをして―生きているだけなのかもしれない、と。

石井遊佳「百年泥」

新潮新人賞「百年泥」を読んだ。

新潮 2017年 11 月号

新潮 2017年 11 月号

 

インドのチェンナイで日本語教師を務める女性の物語。作中、特に何かが起きるわけではなく、下手をすると異国の地で暮らすグローバルなワタシかっこいいでしょ的な似非インテリ臭をまき散らすだけの自己満足体験記に終始してしまいそうな題材である。それでも、その辺と一線を画す要因は、排気ガスですすけた大空を滑空する翼の生えた通勤者や、泥の下からひょこり現われる人間たちなど、随所にちりばめられたマジックリアリズム的想像力の展開が、一つにあげられるだろう。まさに泥を何百年も煮詰めたような南インドの怪しい都市に迷い込んだかのような混沌を掻き立てる。そして、なによりもこの作品を非凡なものにするのが、「話されなかったことば」に対するまなざしであろう。「愛想がない」と言われる主人公自身はもちろん、記憶の中で蘇る母親やクラスメイトも人魚のように無口であり、一見饒舌であるインド人生徒達も習いたての日本語の中で話すことのできる言葉は限られる。そんな無口な登場人物たちが語ることのできなかった思いに、作者はマジックリアリズム的手法で言葉を与える。途中、母と過ごした時間を回想するシーンでの一節。

私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だ。

日常の些細な風景や出来事に触れたときのその刹那的感情を、ぼくらはどれだけ言葉にできているのだろうか。よっぽど口上手な人間でなければ、全ての感情を話し言葉で誰かに届けることはできないはずだ。少なくとも自分は、巧みな話術でクラスの中心に陣取るような人間ではなかった。それでも、言葉にならずにどんどんと堆積していく感情たちを大事にしたいという思いから文字に書き残すことこそ「文学」の役割であろう。吉本ばななも『キッチン』のあとがきでこの様に語っている。

そしてさまざまに微妙な感じ方を通して、この世の美しさをただただ描きとめていきたい、いつでも私のテーマはそれだけだ。

愛する人たちともいつまで一緒にいられるわけではないし、どんなすばらしいことも過ぎ去ってしまう。どんな深い悲しみも、時間がたつとおじようにはかなしくない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい。

文学は、口述社会で挫折した敗者たちのカルチャーだ*1三島由紀夫金閣寺」が吃りによって現実に疎外された主人公を救済したように、文学としての本作が成し遂げたのは、日常を彷徨うことばの亡霊たちに対するささやかな供養であった。

*1:そう思うがゆえに、クラスのリア充しか登場しない恩田陸夜のピクニック』や、グローバル人材なワタシすごいでしょな原田マハ『暗幕のゲルニカ』とかを見ると、「勝者」は勝者のフィールドで自分語りしててくださいと思ってしまうんです、性格悪いんで。

キューバ ~カリブ海の小インド~

リアルタイム 8/13 東京

ご無沙汰しております。中南米旅行をとうに終えて、実家でポケモンgoとかやりながらのんきにしてます。これまでブログを更新してこなかった言い訳としては、キューバ滞在中の一週間ほとんどネットが使えず記事を書けなかったことがまず挙げられます。 一回中断してしまうと何事も億劫になってしまう性質でして、その後もなかなか手をつけずにおりました。まあ手短に言えばめんどくさかったんですわ。しかしまあそんなに面白いことばっかり起こるわけでもないのに脚色して記事にまとめるこっちの立場にもなってみてください、たいして「いいね」も貰えないし

その後、韓国とスリランカにも赴きましたが、それらについては別の記事に譲ります。ひとまず、今回は情熱の国キューバを旅した記録をご賞味くださいませ。(一週間分を一記事にまとめたので少々冗長ですが、後ろの方が上手くかけたと思うので是非最後まで)

 

5/24

メキシコシティからパナマ経由でキューバに飛びます。19時ごろ、キューバの首都ハバナに到着!中南米5か国目にして、トランジットを除けば今回の旅では最後の国となります。キューバという国はいろいろと独自の制度を持っています。まず通貨ですが、外国人観光客用のCUC(通称クック。CUC1=USD1=約105円)と、現地住民用のCUP(CUP25=CUC1、CUP1=約4円)の二種類の通貨が流通しているんです。ツアー会社やホテル、バーなど観光客が利用する施設ではCUCしか利用できない場合が多いのですが、CUC払いの場合物価は日本と比べてもそこまで安くはありません。一方、ローカルなレストラン(と呼べるような代物はほとんどないのだが)などではCUP払いとなります。面白いのは、外国人でもCUPを利用できるということ。CUCに比べてCUP払いのものは驚くほど物価が安いので、上手く利用できれば生活費を大幅に抑えることができます。ただし、品質が保証されたものはCUPでは手に入りませんが。。

もう一つ、この国で変わった仕組みと言えば宿。キューバには、いわゆる安宿がありません。ホテルに泊まろうとすると、安くても50USDはします。こんなんでは、安さに命を懸ける我々バックパッカーは生きていけません。そこで、安宿の代わりにCasa(スペイン語で「家」という意味)という民泊のようなものが普及しています。こちらも東南アジアや他の中南米のドミトリーほどではありませんが、安ければCUC10(約1050円)ほどで泊まることができます。だから、多くの貧乏旅行人はキューバ人の家にお世話になることとなります。

長ったらしい説明はさておき、空港にて2万円ほどCUCに両替を済ませ、いざタクシーで市内に向かいます。市内に到着した時にはすでに日が暮れて真っ暗...ん?ここは市内のはずなのになんで真っ暗なんだ??なんか街灯が全然ない。。。キューバは治安がいいと聞いていましたが、なんか危なそうだなーと思いながらも下車。メキシコシティの日本人宿で教えてもらったシオマラというCasa(日本人宿)を訪ねますが満室だったため、仕方なく向かいにあった別のCasaに泊まることに。一泊CUC20(約2100円)と高額でしたが(シオマラは確かCUC7=約700円)、外も暗いので本日はここで我慢します。Casaのご主人は大の野球ファンで、日本から来たと言うと松坂や渡辺俊介はgood playerだ、グリエルやデスパイネも良い選手だろという話で盛り上がって、野球好きの自分にはうれしかったですね、なぜかセペダの話題にはなりませんでしたが

 

5/25

近くに別の日本人宿があるとのことなので、朝一で宿を移す。Casaホアキナ。日本人はご夫婦で旅するお二人のみで他は韓国人でしたが、一泊CUC7(約700円)で朝食付き!荷物を置いて、旅行会社に繰り出す。旅も残り少ないので、最後に一発バカンスをかますことに。サンタマリアというビーチリゾートにあるオールインクルーシブホテル(食事もアルコールも飲み食いし放題!)2泊3日のツアーに参加することに。お値段なんとUSD270くらい(はっきり覚えていないけど)。間違いなくこの旅行中一番の贅沢だが、日本だったら一泊3万円くらいはしそうなことを考えれば全然安いのではないでしょうか。

旅行会社で支払いを済ました後、念願のキューバ野球を見にいくことにしました。キューバリーグ自体は4月くらいまでなのですでに終わっているのですが、前日のCasaの野球好きご主人曰く、各チームの23歳以下の選手が優勝を争うアンダー23リーグが現在開かれているとのこと。ちょうど今日ハバナにて試合があったので、行ってみることに。ローカルバスで球場まで行くと、

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こんな感じ。テンションが上がります。片方のチームはあのグリエル(元横浜。のちアメリカに亡命し、現在はメジャーリーグアストロズに所属)がかつて所属していたチーム(のアンダー23)とのこと。ちなみに、この日僕はマリナーズ時代のイチローのTシャツを着ていったのですが、キューバでもイチローは人気のようで、現地の観客にお褒めの言葉をいただきました。

試合後中心街に戻ると、のどが渇いたので観光客向けのバーで一杯。

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名物キューバ・リブレキューバ原産のラム酒をコーラで割ったお酒で、とても美味。しかもこの店では一杯CUC1.5(約160円)で飲めるので、ハバナにいる間ほぼ毎日通っていました。しかし、(かつての)敵国アメリカの象徴ともいえるコーラを使ったお酒の名前がリブレ(「自由」の意)というのもなかなか皮肉なもんです。

 

5/26

今日はハバナ市内を散策します。ここハバナの街、実は世界遺産に登録されています。街並みはとても独特なもので、スペイン植民地時代のコロニアルな建物が多く残っているんですが、どれもなんか汚い。でもそこがツボです。

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この街の汚さは、どこかアジアにも通じるところがあります。そういえば、タクシーの客引きもどことなくアジアに似ている様な。。要するにしつこい。この日、チェゲバラ博物館に行ったのですが、その道中もタクシーの勧誘がしつこい。そして入り口の目の前まで来た時に、前に泊まっていたタクシーの運ちゃんが「今日は休みだ、タクシーで他のところに行こうや」。一瞬「え、まじ!?」と聞き返しそうになりましたが、普通に嘘です。なんでそんな一瞬でばれるような嘘をつくかな、と思いながらもそんなところが少しかわいらしくもあるわけです。まじで悪いやつなら裏路地に連れてかれて身ぐるみはがされちゃいますし。そんなキューバ、誰が呼んだか「カリブ海の小インド」。まあインドみたいに牛の糞が巻き散らかされていないだけましですが。

それから、キューバの街で独特なのがこれ

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なかなかお目にかかることのできないようなアメリカのクラシックカーが普通に走ってます。アメリカと国交を断絶していたので、その間新車が入ってこず、古いアメ車がいまでも重宝されているそうです。車好きにはたまらない国ではないでしょうか。僕は興味ありませんが。

それから、海岸沿いのマレコン通りに足を運ぶと、現地の若者たちが汚い海に飛び込んでいて気持ちよさそうでした。

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とにかく暑いです、はい。マレコン通りには、鎖国前の江戸時代にローマに渡り、教皇と接見した支倉常長銅像もありましたので写真をパシャり。

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5/27

ビーチリゾート、サンタマリアへの2泊3日ツアーの初日。ハバナを朝5時くらいに発ってバスで向かいます。片道約5時間かけて、ついにホテルに到着!コテージタイプになっていて、まず部屋からの眺めが素晴らしい。

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目の前にコバルトブルーの大海原が広がります。ベッドはふかふかだしバスタブはあるし冷房もばっちり。なんだこれは。いままで泊まってきた宿が人が寝泊まりするべき場所ではないように思えてきました(実際何度か人間向きではない宿にも泊まりましたが)。急いでビーチに直行。

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素晴らしい。気付いたら昼食の時間だったのでレストランに向かう。オールインクルーシブなので食事代は気になりません。バイキング形式の食べ放題。一日USD5くらいの食費で抑えていたボリビアでの食生活を思い出すと涙が出てきそうです。ビールもキューバ・リブレもモヒートも飲み放題。天国ですね。やはり世の中、金。その後ビーチで泳いで、サンセットを拝む。

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5/27

今日はマリン・アクティビティに挑戦。まずはスピードボート。

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こんな感じのボートで猛スピードで大海原を駆け巡るスリリングなアクティビティです。二人一組で乗り込むんですが、周りの参加者はだいたいみんあカップルで来ておりあぶれてしまい、結局、西洋人のオタクっぽいおっさんと二人でボートデートとなってしまいました。

スピードボートで1時間くらいかっ飛ばした後は、お待ちかねシュノーケリングです。

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こんな感じのスポットでやりました。写真だとわかりにくいかもしれませんが、透明度がとても高いので、上から水中の魚が見えるんですね。もちろん水中ではもっと鮮明にきれいな熱帯魚たちをたくさん拝むことができました。ただ、以前沖縄の慶良間沖でもシュノーケリングをしたことがあるんですが、魚の種類はその時には劣るかなという感じです。

 

5/28

サンタマリア最終日。午前は海見ながらまったりして、昼飯はいつも通りレストランでバイキング。その場で作ってくれるステーキの列に並んでいたら、普通に欧米人に割り込まれた。それだけならまあいいかという感じなんだが、実はこのホテル滞在中に少なく見積もっても5回は欧米人に列を抜かれている。よく中国人のマナー違反が指摘されるが、別に「文明人」である欧米人だろうが列は抜かすのである。みんながありがたがっている西洋の近代化の、文明化の歴史の結末が、こんな列も守れない人間なんだとしたら、そんな歴史には何の意味もないわ、ボケ。とイライラから過激思想に陥るが、じゃあ日本人がちゃんと列を守っているかというと、毎回そうでもないしわけで、そのへんは難しいところである。そもそも「列を守る」という習慣や、列を守ることが良しとされる考えそのものが近代的なものもするし。このへんは考え出すときりがない。仕方ないので今回は許してやろう。ただ、やられっぱなしもあれなので、次にキューバに旅行する人にささやかなアドバイスを。

他の外国人観光客に列を抜かれない方法

①割り込まれたら注意する

 無駄です。英語でまくし立てて聞く耳を持ちません。かりに喧嘩にでもなったら体格差で勝てません。

前の人にぴったり密着する

 10センチでも隙間があると何食わぬ顔で割り込んできます。理想はぴったりと密着すること。しかし、列の左右に並んで別の列を作るという離れ業も繰り出してくるので完璧な策とはいえません。

「不正には銃弾を」とかいたプラカードを持って並ぶ

 国際問題になりかねませんのでおすすめめできませんが、たぶんだれも割り込みません。

そうこうしているうちにハバナに戻る時間に。いろいろあったけどサンタマリア、総じて楽しかったです。

 

5/28ー5/31

キューバを去るのは6/1。のこり3日あるが、特に何もすることがない。なにより暑すぎる。お土産を見て、ソフトクリーム(CUP4=約16円)やピザ(CUP10=約40円)、キューバ・リブレで食いつなぎ、後はひたすら宿で本を読んでいました。

門

 

 日本から持ってきた夏目漱石『門』が面白い。主題の面白さはもとより、明治期の「東京」のくらしがリアルに伝わってきます。しばらくぶりの東京が目の前に迫っています。

 

6/1

ついに最終日。宿の人にタクシーを呼んでもらい、16時ごろ空港へ。しかし、まさかの大スコールと移動が重なります。タクシーで移動するんだから問題ないじゃないかとも思われるでしょうが、このタクシーも年季の入ったオンボロ車クラシックカーなので、雨漏りがひどい。車に乗っているのに濡れてしまいました。まあ無事に空港についたのでよかったです。

空港に早く着いたので、カフェでも入ってゆっくりしようかなと思ったのですが、空港にすらまともな店がありません。キューバという国、全体的に物資が不足している感が否めません。首都ハバナにもスーパーのようなものがあるんですが、品ぞろえは極めて少ないですし。しかし、アメリカと国交を回復したので、今後は変わってくるかもしれません。その時、いままでのキューバらしさがなくなるのか、それとも独自の発展を続けるのか。こればかりは誰にもわかりません。

そんなかんやでキューバを発ち、パリ経由で東京に帰ってきました。いろんな国を回ってきましたが、やはり東京の安心感は随一です。こんな感じで僕の中南米旅行は幕を下ろしましたとさ