知らない気持ち

朝が光る。特に思い入れのない街が後ろへ過ぎていく。中央線から見える景色がとても好きで、あの家にも誰かが住んでいて自分の知らない生活が営まれているのだと思う得もいえぬ気持ちが胸に去来したりする。それにしても、この捉え難い感情は何だ。物心がついた時からずっと疑問で、というよりは寧ろソレを感じた瞬間から物心が芽生えたような気もする。言葉や理性以前の混沌。集合的無意識の海底で見た記憶なのか、はたまた経験によって獲得する後天的感情なのか。

ソレを感じるのは、たとえば優れたメロディを耳にした時であり、たとえば空に浮かぶ一条の雲を眺めた時であり、たとえば夜の道を歩いている時である。もの寂しさ。言葉にすれば未熟で気付いたら霧散してしまう。ソレを誰かに伝えられたら、完璧な形で伝えられたら、世界が分かるかもしれない。しかし、次の瞬間には何も分からなくなるのだろう。世界は今日も誰かのソレで満たされている。