美空ひばりAI騒動に思うこと

NHK紅白歌合戦にて披露された「美空ひばりAI」が炎上しているようだ。騒動を簡単に説明すると、当時の音源などを手掛かりにAI等最新技術によって蘇らせた美空ひばりの仮想実体に新曲を歌わせたら、「不気味だ」「倫理に反している」「何か生命に対する侮辱を感じます」等々の意見が噴出したという感じ。恐らく、ただ単に美空ひばりAIに歌唱させたのであればこれほど大きな問題にならなかったと考えられる。問題は完全創作の語りかけを曲内に挿入してしまったことにあるのではないだろうか。

お久しぶりです。

あなたのことをずっと見ていましたよ。

頑張りましたね。

さあ私の分まで まだまだ、頑張って

歌唱という行為は(シンガーソングライターでない限り)作詞家の言葉を代弁しているという認識が広く共有されているように思える。あくまでも演出のかかったパフォーマンスであり、行為者の内面に必ずしも接続されていないと判断されれやすい。故に、AIが歌ったとしても行為者であるAIに人格を感じることはないだろう。一方で、語りかけは会話という日常的な言語行為に近接しており、一見すると純粋な自由意志に基づく行いに映るだろう。よって、語りかけの行為者には人格の影がちらつく。美空ひばりという外部要素の再現自体は問題ではない。あるはずもない内面を想起させ、外部から都合の良いように人格を代入させている点に人々は憤怒する。つまり内面の傀儡に倫理的問題を見出しているようだ。

今回の問題を振り返るに、プロジェクトのプロデューサーに秋元康が抜擢されている点が非常に示唆的である。というよりも、様々なアイドル=偶像たちを演出してきた秋元康だからこそ、このような人格の代入行為に躊躇なく踏み切れたとも言えるかもしれない。演出という行い自体は否定されるべきものではない。しかし、それがなされていることを示唆したうえでの演出でなければ詐欺となんら変わらない。今回のプロジェクトでは、あたかも美空ひばりの意志で語りかけがなされているような演出がなされていたことが倫理的に問題であったのだ。虚構の塊に今度は我々の人格が蹂躙されないよう注意する必要がある。