2021年10月3日の日記

起き抜けの体に最大照度の陽光が打ち付けている。枕もとに置かれたスマートフォンを手に取る。9時3分。休日の膨大さに甘えて、即座に起き上がることはなく、布団の中でぬくぬくとしている。YouTubeTwitterを何周かして、伸びをすると、気が付くと10時。時間どろぼうめ。

顔を洗って、今日一日なにをしようか考える。何も予定はないが、これほど良好な天気の下で何もしないのも罰が当たる気がする。計画を立てるためにグーグルマップを適当に開く。海に行きたいとか思ってみたが、武蔵野からまともな海を拝むためには結構な遠出となる。一番近くて江の島か(お台場や芝浦は海だが海ではない)。往復運賃は1500円以上と出て辞めた。どうせ行くなら思いっきり早起きして行くことにしよう。

朝食をとって洗濯して服を着替えて、11時半になってもまだ予定は決まらない。近場の阿佐ヶ谷や高円寺、吉祥寺は行きつくした感じがする。石神井公園なんかは余り行かないがバスでしか行けないから気が乗らない。なんとなく古本屋めぐりがしたいと思い適当に検索すると早稲田は古書店街として有名らしく、実はほとんど行ったことがないことに気が付いて、そこに決めた。荻窪駅から東西線で一本なのも都合がよい。

13時頃、高田馬場駅で下車。地上に出ると、まさに学生街といった趣。高田馬場は駅前ぐらいしか歩いたことがなかった。早稲田通りをひたすら東に進む。地図を見る限り、国道305号線、いわゆる明治通りとの交差点を過ぎたあたりから早稲田古書店街が始まるようである。

ところで、交差点を過ぎても神保町のような景色は見えてこない。そればかりか古書店はどれもこれも休みだった。街として日曜日を休業日にしているといった話はネットで調べても出てこないが、開いていない以上は仕方がない。徒然に街の景色を眺めながら歩いていると、一軒だけ営業している古書店に出会うことができた。Opera Buffというお店で、店外に並べられた文庫新書200円均一は気になるものが多く、6冊ほど手に取ってしまったが、自分の部屋に積まれた書籍の山を思い出し、泣く泣く二冊だけにしぼって会計した。

店を出ると、道の反対側に本殿のような建築物を見つけた。「見つけた」と書いてはみたが、実際の順序としては建築物を目にしてから古書店に入店したのであり、執筆にあたっての脚色を加えている。そのような正確さの隠蔽は、書くこと一般における不誠実として捉えられるのか否かはよくわからないが、まったく事情を語らないでいることによる良心の呵責、そんな無駄な自己負担が種明かしひとつで回避されるんであれば、といった算段であることをあえて自白することにする。

さて、道を渡ると、例の建築物は穴八幡宮と呼ばれる神社であるとわかった。浅学ゆえに名前を耳にしたことすらもなかったが、由緒を語る看板を読むと、康平5年(1062)の前九年の役にて奥州の豪族・安倍氏を平定した源義家が、凱旋の際ここに的山を築き、兜と太刀を納めて八幡神を祀ったことにはじまるという*1。ずいぶんと由緒のある神社のようで恐れ入りました。本殿にてしっかりとこうべを垂れてきた。正門から出ると、こんな感じ。

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この辺りでのども乾いたのでタリーズにて休憩。持ってきた本を読んでいると、周りの席で、早稲田大生と思わしき男が後輩に動画編集の技法を伝授していた。何の団体に属しているのか分からないが、その学生の話しぶりがどこか自分に酔っている感じがして鼻につく。どことなく教わっている後輩君も不満を覚えているように見受けられたが、それはただの思い込みかもしれない。「まどかはめちゃくちゃ飲み込みが早かった」「まどかのときはどうしたかな」「まどかは」まどかと呼ばれる、おそらく女子と思わしき人物の名前が多用されており、彼の胸中に「まどか」が占める割合の高さを垣間見ることができたのは面白かったが。

スマホを見ると15時45分。漱石山房がほど近いところにあると知って、店を出た。途中で早稲田通りを外れるのだが、坂道を暫く上ったところで道を間違えていたことに気が付いた。戻る途中で石碑が設置されていることに気が付き、名の知れた坂なのだろうと思えば、実はこれが夏目坂というらしい。さらに近くには、夏目漱石誕生の地碑なるものまで見つけた。そちらには生花が添えられており、ちょうど淑女が手入れをしていた。

早稲田通りに一度戻り正しい道に入ると、先ほどまでの交通の喧騒はどこへやら、一気に閑静な住宅街へと入り込む。誠に勝手ながら山の手の中は住むものではないと偏見を抱いているのでこういったところでも住みたいと思わないのは不思議だ。この偏見は下町に生まれ育った人間に特有のものなのかもしれない。

さて漱石山房漱石が晩年の9年間を過ごした旧居を復元した記念館であり、中では漱石に関するあらゆる情報が展示されている。いちおう漱石に関しては一通り著作は読んでいるのであるが、知らないことも多く知的好奇心を満足させるには十分な内容であった。

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外に出ると頓におなかが空いたが、まだ17時なので夕餉には少し早い。なんとなくスパイス料理を体が欲していたので、荻窪に戻ってインドカレー屋に入る。ディナータイムはナンのお代わりができないということで少しショックであった。食後にツイッターを見ているとこんな投稿がタイムラインに流れてきた。

「こういうので読書家を語る人間を信用してはならない。」と思わず引用リツイートしてしまったが、いささか軽率であったかと反省。反省点ひとつめ、なんだかマウントを取っている感じに見受けられる。反省点ふたつめ、「読書家を語る」といった言い回しはちょっとおかしい。「読書家を騙る」なら文法的に正しいが文脈にやや合わない。「読書を語る」が正解か。次回は気を付けたい。

*1:もちろん一言一句覚えているわけではなく、このページから殆ど引用しているが、本文では流れを妨げることになるので断りは入れていない。これもまた日記における脚色の是非に繋がる問題である

文化力の敗退

五輪閉会式を見た。真っ先に思い出したのは、角川書店創業者・角川源義による「角川文庫発刊に際して」の文章である。

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何(いか)に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以降八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層への文化の普及滲透(しんとう)を任務とする出版人の責任でもあった。

私たちは、今回の「復興五輪」にて、再び文化力の敗退を目にしなければならなかった。非力な私たちを常に励まし育んでくれた我が国のカルチャーが、政治や巨大資本に蹂躙される様を、ただ黙って眺め続けるしかなかった。両の頬を血の涙が流れる。悔しくてやりきれない。

選手入場が終わり、寸劇が始まったところから嫌な予感がした。昼下がりの公園という設定だとアナウンサーが説明する。どういうことだろう。そもそも口頭説明がないと設定の分からない演出とは。その後に出てきた沢山のパフォーマーはごちゃごちゃして統一感に欠け、そのうえ視覚的インパクトに非常に乏しく、なにがなんだか分からない。スカパラの演奏は悪くないが、選曲センスが目も当てられない。なぜ昼下がりの設定なのに「上を向いて歩こう」なのか。ひとりぼっちで夜道を歩く歌なのに。おまけに最後はなぜかベートーベンの第九。東京オリンピックで西洋クラシックを演奏する意味とは。これは西洋文化に白旗を上げたということなのか。いや、何も考えていないのだ。自国の文化に対するリスペクトなど何も持ち合わせていない守銭奴たちが取り仕切ればそうなるものだ。私たちの日本文化は、そんな連中のなんとなくの積み重ねの結果、無惨にもここに敗北したのだ。

この散々たる結果をどう受け止めるか。私は、私を育ててくれたこの国の文化が恥辱されて黙ってはいられない。文化的ナショナリズムの目覚め。必ずこの雪辱は晴らさなければならない。日本文化を最高の形で発信していくこと。どんな形で実現できるか分からないが、つらい時もうれしい時もいつも側にいてくれた私たちのカルチャーに、今こそ報いるべきではないだろうか。そう思って、自分がなんの影響力もないことに気がつく。この悔しさを噛み締めて、今日は眠る。

昭和歌謡ベストソングス30

 

 

ミュージックマガジンの特集「昭和歌謡ベスト・ソングス100[1970年代編]」が面白かったため個人でもやってみようという試みである。

対象は昭和の時代にシングルとしてリリースされた邦楽曲全般。両A面などもありとする。ただし歌謡曲の範疇から外れると判断したアーティスト(具体的にはサザンオールスターズPRINCESS PRINCESSTHE BLUE HEARTSエレファントカシマシなど)は意図的に除外している。山下達郎松任谷由実などのシティポップの系譜の扱いについては最後まで迷ったが、今回は対象とした。

 

 

1. 「SWEET MEMORIES」松田 聖子(1983)

ガラスの林檎 (CCCD)

本企画を思いついた時から一位はこれ以外ないと思い続けていた。もはやこの曲を一位にするために始めた企画かもしれない。数々の名カバーを生み出した稀代の大名曲であり、あらゆる歌い手たちの物語を引き出す普遍性には恐れ入る。松田聖子の表現力や松本隆の歌詞はもちろん、作編曲を担う大村雅朗の手腕も見逃せない。我が国のポップ音楽における一つの到達点。

 

2. 「木綿のハンカチーフ」太田 裕美(1975)

木綿のハンカチーフ[EPレコード 7inch]

往復書簡形式で男女のすれ違いを表現する松本隆の歌詞が生きるのは、一人二役をこなす太田裕美の表現力があってこそ。2021年の映画『花束みたいな恋をした』を見てこの曲のことを想いだした。発表されて40年以上がたった今でもさびることのない名曲。

 

3. 「赤いスイートピー」松田 聖子(1982)

赤いスイートピー [EPレコード 7inch]

純白の権化ともいえる松田聖子の代表曲。みずみずしく歌い上げられる青春の輝きに、心の隅々までが浄化される。ところで、松田聖子はどこかの時期に別人と入れ替わっていると睨んでいるのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

 

4. 「卒業」斉藤由貴(1985)

卒業[EP]

これまた松本隆筒美京平の最強タッグ。斉藤由貴のどこか諦念あるいは達観を含んだ歌い方が楽曲全体に奥行きをもたらしている。「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう でももっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの」この歌詞の素晴らしさよ。

 

5. 「微笑がえしキャンディーズ(1978)

微笑がえし[キャンディーズ][EP盤]

解散のタイミングで発表された最後のシングルということを知ると、この曲の哀愁はさらに深みを増すだろう。笑い話で抑えようとしていた別れの悲しみが「おかしくって涙が出そう」前の高音への移り変わりでひょっこり顔を出してしまう、その表現が素晴らしい。

 

6. 「悪女」中島みゆき(1981)

悪女

悪女

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7. 「時の流れに身をまかせテレサ・テン(1986) 

 

8. 「守ってあげたい」松任谷由実(1981)

 
9. 「思い出がいっぱい」H2O(1983) 

想い出がいっぱい

想い出がいっぱい

  • アーティスト:H2O
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 10. 「君は薔薇より美しい」布施 明(1979) 

 
11. 「銀河鉄道999ゴダイゴ(1979)

 
12. 「恋するカレン」大滝詠一(1981)

 
13. 「夏が来た!」キャンディーズ(1976)

 

14. 「悲しみよこんにちは斉藤由貴(1988)

 
15. 「じゃあね」おニャン子クラブ(1986)

 

 16. 「グッド・バイ・マイ・ラブアン・ルイス(1974)

グッド・バイ・マイ・ラブ

グッド・バイ・マイ・ラブ

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17. 「オリビアを聴きながら」杏里(1978)

 

18. 「君は天然色大滝詠一(1981)

 

 19. 「ひとり咲き」チャゲ&飛鳥(1979)

ひとり咲き

ひとり咲き

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20. 「クリスマス・イブ」山下達郎(1983)

 
21. 「また逢う日まで尾崎紀世彦(1971)

また逢う日まで[EPレコード 7inch]

また逢う日まで[EPレコード 7inch]

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22. 「渚のバルコニー」松田 聖子(1982)

 

23. 「タイム・トラベル」原田真二(1978)

 

24. 「愛を描いて -LET'S KISS THE SUN」山下達郎(1979)

 
25. 「The Stardust Memory」小泉今日子(1985)

 

26. 「チェリーブラッサム」松田 聖子(1981)

 
27. 「サボテンの花」チューリップ(1975)

 

28. 「勝手にしやがれ沢田研二(1977)

 

29. 「結婚しようよ」吉田拓郎(1972)

 

 30. 「ラヴ・イズ・オーヴァー」欧陽菲菲(1982)

 

 

番外

シングルではなかったため対象外となったが紹介したい曲。

「ひとつだけ」『ごはんができたよ』矢野顕子(1980)

レモネードの夏」『Pineapple』松田 聖子(1982)

「14番目の月」『14番目の月』荒井由実(1976)

「恋の横顔」『Relief 72 hours』国分 友里恵(1983)

ダンスホール」『回帰線』尾崎 豊(1985)

今泉力哉『街の上で』



愛おしい映画だ。

下北沢の街で繰り広げられるこの物語は、いってみれば大したことは起こらない。若葉竜也演じる男と彼を取り巻く四人の女性が繰り広げる群像劇なのだが、そこでは劇的な演出や会話が徹底的に排除されている。どもり、つっかえ、聞き逃し、聞き返し、謎の間の連続で、それゆえに映画の中にどこかぎこちない気まずさが流れることもある。しかしそのことが映画に圧倒的なリアリティ強度を与えている。よどみなく自分の気持ちを吐露する作られた登場人物は皆無であり、この世のどこかに確かに存在する人々の生きざまを垣間見ているようで、ほほえましく優しい気持ちになれる。

ここで描かれているのはあなたの身近な日常と大して変わらない。あるカップルが別れてから暫くのあれこれが描かれているだけだ。何年後かに振り替えれば、いろいろあったよねの一言で片づけられてしまうようなあれこれだけだ。でも、そんなあれこれに近寄ってみると、案外とてもきれいじゃんと気づくことがある。だれも描くことがなければなかったことにされてしまうほど些末で、でも確かにそこにあったはずの出来事。そんないろいろの美しさに気が付かせてくれる、最高の映画だ。

 

地図に穿つ

これまで訪れてきた場所を余すことなくグーグルマップに登録しようと思っている。ひとりで勝手に進めている極めて個人的なプロジェクトだ。誰に見せるわけでもない。何かに役立つわけでもないだろう。ただ個人的な記憶の外付けハードディスクとして、電子地図を活用しようとしているだけだ。自分と少しでもかかわりを持ってもらった場所を忘れてしまうのが悲しいから、いつまでも覚えていたいから、こんなことをしている。

いままでたくさんの土地を訪れた。日本国内はもちろんのこと、学生時代はバックパッカー気取りで少なくない国に降り立ってきた。当時から訪れた場所をグーグルマップに登録しておけば面倒はなかったのだが、Maps.meなどの別の地図アプリを使っていたり、そもそも地図にいちいち記録をつけていたなかったりして、訪れた国や街の単位でアバウトにお気に入りマークをつけていただけだった。しかしそれではもったいないと思い、この機会にすべて更新してみることにあした。

そんな作業をしている中で、タイ・バンコクを訪問した際に泊まった宿の場所が分からなくて、いろいろと手掛かりを探っている。ただ、その宿に関しては当時の写真はない。仕方ないから、記憶の海に潜ってみることにした。

あの時の自分は大学生で、春休みを使って友人と二人で一か月のあいだ東南アジアを回っていた。ベトナムホーチミン(サイゴン)から入り、カンボジアアンコールワットを見て、そこから長距離バスでバンコクに入ったのだ。世界中から観光客の集まるバックパッカーの聖地・カオサン通りに着いたのは、夜の7時か8時ごろだったとおもう。半日車に揺られて我々は疲弊していた。とにかく腹が空いていたので、宿を探すよりも先に屋台でパッタイを頬張った。日本円で100円くらいだったそのタイ風やきそばは驚くほど美味で、それから7年たった今でもあの時の感覚を覚えている。

我々が舌鼓を打っていると、日本人バックパッカーを自称する若い男に話しかけられた。彼の泊まっている宿が安くていい感じなので、案内してあげるとのことだ。我々は警戒しながらも、疲れ切っていたので、彼についていくことにした。

案内された宿は確かに安かった。たしか一泊3ドルとかだったと思う。話に嘘はないのだが、しかし想像をはるかに超える不潔さであった。単純に汚いということに加えて、陽当たりが悪くじめじめしているし、電球が切れかかっているのかどの部屋も薄暗い。おまけに6人1部屋のドミトリーでは、そこに何年も住み着いているような”沈没者”がたくさんいて、それもたちの悪い沈没の仕方をしているように見えて、人生をあきらめた人々が醸し出す独特な”死臭”が部屋を包んでいた。

そんな嫌な感じしか残っていない宿ではあるが、そこに泊まったことは事実であり、なんとか場所を思い出そうとするが、カオサン通りのはずれの道をいった気がする程度の情報しか浮上してこない。記憶の中の行動と地図を突き合わせてみも全く分からないので、インターネット検索に頼ることにした。ただ、「カオサン通り 安宿」みたいに検索しても、出てくるページが扱うのは小ぎれいで清潔かつ明るい印象を与えるような宿の写真ばかりだ。あたりまえだ。あんな宿をお勧めするページがあったとしたら無茶苦茶だ。ただ彼らは彼らの最善の選択として、あのどうしようもない宿を掲載していないだけだ。だから、その宿が見つからないことに対して、何の文句も垂れるべきではない。それはわかっているが、いま見つけ出さなければ生涯あの宿の場所を思い出すこともないのだろうと思うと少し寂いので、いろいろな検索をかけて粘ってみたら、「カオサン通り 日本人宿 汚い」で検索したら出てきた。

A.T. Guest House ― それが、探し求めていた劣悪宿の名前であった。調べると今の今まで営業を続けているようだ。さっそくグーグルマップにお気に入り登録して、ストリートビューで目の前の道を覗いてみると、記憶がよみがえってきた。メインストリートからとんでもなく狭い道を通り抜けてこの宿にたどり着いたことや、目の前の狭い通りに並んだ屋台で朝食のヌードルを食べたことを。この場所のストリートビューにたどり着いていなかったら、一向に思い出すこともなかった記憶の断片に出会うことができて、なんだかうれしかった。あの時、自分は確かにこの場所にいた。その感覚を、忘れてはいけない。

しんにょう(あるいはしんにゅう)

幼いころの記憶に残るしんにょう(あるいはしんにゅう)は辶であったけれど、いまモニターに映し出される「辻」のしんにょう(あるいはしんにゅう)は何度目を凝らしても辶だった。ふたつも点が乗っている。おかしな形に困惑しながら、しかしこれはつい今しがた自分がキーボードで打ち込んだことにより生み出した文字であるという事実に直面する。PCが表示する文字に誤りはないはずであり、そうすると、先ほどまで私の記憶だと思っていたものが私の記憶ではなかったのかもしれない。いや、騙されるな。私には確かな記憶がある。

小学生の僕は、かび臭い教室の片隅で、「道」という文字を何度も書き写している。その文字はいささか見るに堪えないほどの汚さだが、何とか「道」であると認識できる程度の形は残している。30回同じ字を書かないといけないので、途中で僕はずるをし始めるわけだが、まあそれはいい。とにかく、ほらみたことか、辶がやはり正しいのだ。しかしなぜこんなたわいもない場面を記憶しているのだろうと不思議に思っていると、おいと呼ぶ声がしたので頭を上げる。そこに立っている少年は、僕がずるをしているのを見抜いたようだった。僕は瞬時にノートを覆うようにして、なに、と答えた。

「お前、をぜんぶ先に書いて、その後で首を書こうとしているだろ」

「してないよ」

実際には彼の言う通りで、僕のノートには一面の辶が書き連ねられていた。この方が効率的だと思ってやってしまったわけだが、僕は正直に答えられなかった。いま思い返せば、別にそのくらいのことがばれてもなんでもないはずだったが、当時の僕にはそのズルがとても大きな罪であるように思えてならなかったのだ。

「いや、俺は見たよ。先生にいっちゃおう」

僕は狼狽した。そして、必ずこいつを葬ってやると強い殺意を覚えるやいなや、辶で埋め尽くされたページを彼に見せつけてやった。すると彼は、辶辶辶辶辶辶辶辶辶辶辶辶が辶辶辶辶辶とつらなる辶辶辶辶の辶でゲシュタルト崩壊を起こして別世界に飛んで行った。ざまあみろと漢字ノートを開きなおして「道」を書き始めると、辶が崖に立つ一人の人間を表しているように思えてくる。断崖の上で立ち尽くす僕の眼下には、深い森の蒼がどこまでも続いている。風が木の葉を揺らしすざわざわと野生動物たちの鳴き声が混合して不気味な気分だ。その森の中から、先ほど吹き飛んだ少年の声がする。僕は彼が哀れになったので、おーいと声を出して居場所を伝えた。すると「おーい」の声は実態となって彼の方へと飛んでいき、彼を乗せて崖の上へと戻ってきた。

「びっくりしたじゃないか」

「お前が悪いんだぞ」助けてやったのに不遜な態度をとる彼に僕は苛ついていた。

「しかもお前、この辶が間違ってるぞ」

教室に戻って彼がノートの一字を指して言う。確かにそれは辶ではなく辶となっていて点が一つ多い。これには僕も反省の色を示すしかなかった。

「教えてくれてありがとう。このまま提出していたら大変なことになってた」

素直に感謝の言葉を伝えて彼を見ると、彼はそこにはおらず、ただ辶の白いオブジェクトが屹立していた。文字が言葉をもって何かを訴えることはできないが、僕には、辶が哀愁の気持ちを抱いていることが分かった。僕には彼のさみしさを理解することができたから、彼のために涙を流すことにした。すると、目の前に据えられた辶が強い光を放って、空に浮いたかと思うと、教室の天井を突き破って空高く飛び立っていった。

この時以来、僕が辶の形を意識したことはなかった。

光の粒

微かな温もりをはらみ始めた潮風が自由気ままに荒ぶる二月の砂浜は、どこまで行っても誰もいなくて、いつか見たあの景色に似ている。寄せては返す波のごとく、心に去来する寂しさが心地よくなるころには、生きる意味さえも超えていく。

真っ白な砂浜に横たわる君が死んでいく。君は、うつろな目をして遠く見つめながら、すべてが海であった時のことを思うのだろう。初めて光を見た刹那に流したうれしさの涙を懐くのだろう。

僕らは君の大きな体が朽ちてしまう日を待っている。じっくりと涙に溶けていく日を待っている。君と過ごした日々が霞の彼方に見えなくなる日を待っている。それでも、触れては消えてしまうような脆さで、君は息をし続けるのだ。

君はときおり悲しみを嘶く。咆哮のようには響き渡らない諦めを心得ながら、吹き付ける風の声にかき消されない程度の力強さを保ちながら、目の前で消えていく

遠く沖の方で光の粒が跳ねる。水面に跳ね返った光はどうしてこんなに美しいのだろうか。死に行く君すら照らしていくすべての光が、ああ僕らの終わりを開くのだ。世界はいつも美しい。

君は海に戻そうとする合間に死んだ。ついに死んだ。僕は沖に船を漕いで、君のすべてを海に葬った。沖の海を間近に見るとと、光ってなんていなかった。どっぷりとした厚みを持った青黒さがのっぺりと広がっているだけだ。こんなに分厚い壁の下で眠る君を思って少し泣く。二月の風は、しっかりと冷たかった。