スタンド・バイ・ミーでマチュピチュへ

リアルタイム 6/21 メキシコ
腹痛でタコスが思うように食べれない。

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インカ帝国の首都クスコに到着。クスコとは、ケチュア語(いわゆる「ネイティヴアメリカン」の言語の一)で「へそ」の意。その名の通りインカ帝国においてクスコは世界のへそ、中心であった。そして今でも、旅行者にとってはマチュピチュやアマゾンツアーなど、観光スポットの拠点となるいわばペルー、いや南米観光の中心地である。素晴らしい街並みなのだが、いかんせん坂が多い。標高3600mに加えてこの坂道、さらに安宿は大抵心臓破りの坂の上にあるのでとても体に応える。しかし、ボリビア以降ずっとこんな感じで、なんだか高地トレーニングしてるようだ。きっと帰る頃には長友級の運動量とスーザンボイル並の肺活量を手にしていることだろう。冗談はさておき、早速マチュピチュ行きのツアーを探して旅行会社を巡る。マチュピチュはそれ自体の入場料も62ドルと高い。それに加え、クスコから麓のマチュピチュ村まで行く列車が片道安くても70ドルと本当にバックパッカー泣かせ。まさにペルー政府の観光戦略。しかし、これには抜け穴がある。クスコから途中の村まで直行バスが出ているのでそれに乗り、あとはマチュピチュ村まで徒歩で向かうという方法だ。これだと、マチュピチュ入場料、マチュピチュ村の宿泊費、バス代全て込みで85ドルくらい。体力は使うが、貧乏旅行人にはこちらで行くしかない!適当な旅行会社を発見したので、ここでレインボーマウンテン(詳細は次回)への日帰りツアーも含めて申し込むことに。現地通貨ソルで支払うので、マチュピチュツアー85ドルは277ソル。これにレインボーマウンテンツアー80ソルが追加され、合計355ソル(約12000円)の支払いになるはずだった。しかし、ここで奇跡が起こる。ツアー会社のおばちゃんが電卓を使って両ツアーの合計金額を計算する際に、レインボーマウンテンの80ソルを8ソルで計上。そのまま気付かず277+8=285ソルの支払いで住んでしまったのだ。なんとレインボーマウンテンに300円で行けることに。流石に悪いなと思ったので、金額確認の時に「本当にこの金額でいいんだな??」と3回くらい確認したが「No ploble!」とのことなので決して僕に落ち度はありませぬ。まあ、自分の子供には算数の勉強だけはさせようと思いました。

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朝7時40分にツアー会社に集合し、バスでマチュピチュ村近くの停留所へ向かう。ツアー会社のおばちゃんに昨日のだまし取った誤差が生じた金額を催促されるのではとビクビクしていたがお咎めなし。険しい山道をバスは進んで行く。途中道が崩れかかり、数10分足止めを食らったりしたが、すぐに復旧し、なんとかバスで行ける最果ての地点に到着。そこからはクスコから発車する列車の線路に沿ってマチュピチュ村を徒歩で目指す。線路の上を歩いて行くことからこのツアー、「スタンド・バイ・ミーツアー」と言われている。途中こんな鉄橋を渡ることも。

気分はすっかりスタンド・バイ・ミーなはずなのだが、映画を見たことがないのでいまいちよく分からん。是枝清『奇跡』の方が自分にとっては分かりやすい(単に見たことがあるからってだけだけど)。約3時間歩き続け、日もすっかり暮れた午後7時頃マチュピチュ村に到着。夜ご飯食べて、宿に着いて(料金はすべてツアーに含まれている)、疲れてすぐ寝ました。

6/14
今日も歩く。目指すマチュピチュ遺跡は山の上。村から二時間くらいかけてほぼ登山と言っていい道のりを行く。これが結構キツい。汗がダラダラ。12ドル課金したらバスで上まで登れるのだが、そんなものは憎きブルジョワの所業。我々バックパッカーはキツい、汚い、危険の3Kをモットーに生きているのだ。ブルジョワ打倒!などと訳の分からないことを抜かしたり抜かさなかったりしながら、横を通るブルジョワどものバスを横目に、駆け上がった。そして、ついに到着!

本当はこの写真をとるまでに入場待列でのおばさんツアー客の割り込みだとか、一緒に山を登ったスロバキア人が他の友達と合流してボッチになりかけるとか、いろいろあったが、やはりマチュピチュはこの写真がすべてを物語る。決して文書構成が面倒くさかった訳ではない。マチュピチュを見終わった後は、下山してマチュピチュ村にもう一泊。ついた頃にはもうクタクタ。しかし、一緒に来た欧米人たちがその日のうちにまたスタンド・バイ・ミー3時間の道のりを歩いて帰って行ったのを見て、やはり人種の壁というものがあるのだと思い知ったのである。

6/15
特に記すことなし。ツアーが一緒だったアルゼンチン人カップルと一緒に帰路3時間歩き、バスに乗りクスコに着き、一日が終わりましたとさ。↓は道中の夕陽です。