佐藤正午『月の満ち欠け』

輪廻というものがあるかと問われたら、何と答えるだろうか。「科学的」に答えるのならば、そんなものはないよとうそぶくほかない。死とは、向う側のない完璧な絶望である。人間は死んだら、一つの肉塊となるのだから、脳の活動停止とともに魂も消えるし、魂が何かに乗り移るということは絶対にありえないと、今世紀を生きる科学の子たる僕らはそう答えるであろう。それでも、それは科学という認識の中での話にすぎない。精神の世界で、輪廻というものがあればそれはそこに現れる。「ない」ものも「ある」と思えば、それは「ある」のだ。そんな世界も面白いのではないか。

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

 

 第157回直木賞受賞作『月の満ち欠け』。自分の子どもが誰かの生まれ変わりではないかという不気味な重低音を響かせて進むこの物語は、ありきたりな男女の出会いを源流に、月の満ち欠けのように生と死を繰り返す一人の女性の魂が途中様々な人たちの人生を引っ掻き回しながら、海へと流れていく有様を描いている。或はそれは海には流れず、だまし絵のようにまた源流に戻っていくのかもしれないが、とにかくその原動力は純愛と盲信である。女は「試しに死ぬ」ことで、再び男と会えると信じていた。生まれ変わりは、「死=無」という絶対的運命に抵抗した小さな英雄へのちょっとしたご褒美だったのかもしれない。もちろんそれは生に対する冒涜だという非難もあるだろうが、死んだ後も世界は続くという救い(あるいは絶望)を持つ権利は誰にでもあるはずだ。

直木賞選考委員会から指摘されている通り、最後の章は不要であったようにも思えたし、そもそも何度でも生まれ変わる女というのは気味が悪いという批判もあるかもしれないが、それらを差し引いても読者にページをめくらせるエンターテインメント性を有したたぐいまれ無い傑作である。そして、生と死について、この世界について、思いを巡らせると、こんな考えにぶつかる。今を生きるみんなが誰かの生まれ変わりで、人はそれに気づくことなく―あるいは、気づかないふりをして―生きているだけなのかもしれない、と。