山田尚子『聲の形』 投げて、落ちて、拾われる

リズと青い鳥』の興奮に便乗して、恥ずかしながら見視聴だった『聲の形』をTSUTAYAで借りてきた。

映画『聲の形』DVD

全体のモチーフをさりげない描写の一つ一つに投射していく丁寧さ、言葉の外への真摯なまなざし、観る人の感情を動かすエンターテインメント性。傑作である。途中何度か泣きそうになった。しかしながら、これが山田尚子監督の最高傑作かと問われれば、首をかしげざるを得ない、というのが全体的な感想である*1。兎にも角にも、心を動かされた作品である。どういった点が素晴らしかったのか、『リズ』との比較も交えながら綴ってみたい。なお、ここから先、ネタバレ有り。ただし『リズ』に関しては見ていない人もわかるようなものとなっております。『リズ』に関する考察はこちら。

 

伝わらないということ

「障がい」「いじめ」といったセンセーショナルな題材を取り扱っているが、この映画の主題は決してそこにはない。本当に撮りたかったのは、一見簡単に見える「伝える」という行為が実は如何に困難なものであるか、というところにある。硝子が必死に吐き出した「好き」という簡単な一言が、「月」と聞き間違えられるシーンが典型的だ*2。しかし、伝わらないということに直面するのは、「障がい者」である硝子だけではない。石田もまたその一人。言葉でうまく伝わらない感情を、彼は「投げる」という行為で届けようとする。気になっていた硝子に、石を投げる。ともだちだと呼びかける硝子のことばに、補聴器を投げることで拒絶の意を示す。高校時代に移っても、硝子と一緒に鯉にパンを投げることで、コミュニケーションを取ろうとする。

「言葉にならないことば」を不器用にも伝えようとする者たちへのまなざしは、いつも一緒にいながらも根本的には分かり合えないやるせなさを描いた『リズ』にも共通する。みぞれと希美には音楽ということばがあったように、石田は投げることで想いをことばにする。

落ちることの意味

この映画では、「落ちる」ことが執拗に繰り返される。これは、言葉が支配する「上」の世界と、言葉を失った硝子(や時に石田)のテリトリーである「下」の世界という二つの空間世界を背景としている*3。いじめられる側に回った石田は、水槽に「落とされる」ことで以後コミュニケーションが取れなくなるが、高校生になると、今度はノートを拾うために自分から川に「落ちる」。これは、梢子と同じ世界を生きようとする意志の表れでもある。事実、石田は硝子とコミュニケーションを図るために自ら手話を身に着けている。しかし、遊園地のシーンで、ジェットコースターが落下する直前の「やっぱりまだ怖いけどね」という佐原の言葉に不安を覚える。これは、「友達っぽい」感覚を取り戻し、上の世界に馴染んできた石田が、硝子のいる下の世界に再び落ちることへの恐怖が現出している*4。その不安を察した硝子は自らの身を投げる。落ちていく彼女を、石田が拾う。代わりに石田が落ちる。投げ出された硝子の全存在を拾い、下の世界へと落ちた石田の行為によって、二人のコミュニケーションは完成する。病院を抜け出した石田が硝子と再開するシーンで上空を翔ぶ飛行機は、「投げられた想いが落ちないこと」をあらわしているのだろう。

人の関係性を空間に投射するその手法は、『リズ』における希美とみぞれの距離感や、校舎内での位置関係にも見ることができる。何気ないワンシーンも大事にするその姿勢こそが山田監督の真骨頂であろう。

分かりやすさをめぐって

繰り返しになるが、この映画の主題は「伝わらないこと」にある。しかし一方で、この作品は感情の起伏箇所がとてもわかりやすい構成となっている。理不尽ないじめ、川合みきという胸糞悪い人物や、自殺未遂と主人公の重体からの復活といったわかりやすい装置を使って、受け手の感情を誘発している。そういったわかりやすい感情の動員は、決して悪いことではないと思う。しかし本作においては、分かり合えないことを題材にしながら、受け手が受け取るべき感情は非常に分かりやすくなっている、という矛盾を抱え込む結果となっている。そのわかりやすさこそが、この映画のエンターテインメント性を高めていることは確かだし、「リズ」において欠如している部分だということも否定できない。しかし、「リズ」で見られるような「受け取り方の揺らぎ」をこの映画に見ることはできない。そこが本作を胸を張って大傑作だとは言えない所以である*5

 

 

*1:たまこラブストーリー』と『リズ』しか見ていない人間が偉そうに言うこともできないのだが…

*2:このシーン、「月?きれいだね。」という石田の「間違った」リアクションも、図らずとも「妥当な」受け答えになっている、しかし両者ともそれに気づかない、という点が非常に面白い。

*3:もちろんこれは、健常者を上、障がい者を下に見るという優生思想ではなく、コミュニケーションが上手くとれるか否かという線引きである。ゆえに石田もやはり下に行く。

*4:ここはどうしても『ジョゼと虎と魚たち』を思い出させる。

*5:直前に見た「リズ」をえこひいきしているのだと言われても文句は言えません。