鄭義信『焼肉ドラゴン』


「言わなければ分からないじゃないか」と言う人がいる。コミュニケーションができなければ人間として価値がないのだとでも言うように。でも、本当の痛みは言葉にはなれない。はっきりと言える人間に、この苦しみが分かるのだろうか。

この『焼肉ドラゴン』という映画では、想いが言葉にならない家族の生き様を描かれる。壮絶ないじめに会い言葉がしゃべれなくなる時男はもちろん、在日一世の父ちゃん母ちゃんが話す日本語はたどたどしいし、逆に日本で育ったその子供たちは韓国語をうまく話せない。みんな、ある意味でどこか言葉に不器用だ。その代わりに彼らは、大きな感情にぶつかたとき、叫ぶ。その姿は痛々しいけれども、それでも彼らは生きていかなければならない。

人の苦しみを分かりたいという人はいるけれども、その本当にグロテスクな部分まで付き合ってくれる人間は少ない。彼らは往々として、分かり合える美しさを求めているだけなのだ。人は分かり合えないし、汚いし、目も当てられない。きれいごとではすまされない黒い部分をこの映画は書ききっている。叫ぶことしかできなくなった時男が草むらで暴れまわるシーンを長々と映すシーンがそれをよくあらわしている。痛みが、この映画には詰まっている。

願わくばこの映画が政治だとか歴史だとかそういった大きな枠組みで語られることのないようにと思う。ひとつの家族が、どのように生きていきたのか。それだけを見つめてほしいのである。