ホーチミン旅行④(完)

12/27

最終日。喉は相変わらず痛い。本日は、ホーチミンから約100キロ離れたタイニンへとバスで向かう。この街にはカオダイ教の総本山がそびえ立つ。カオダイ教について知らない人も多いと思うのでここは私の博学を生かして分かりやすくご説明しましょう。カオダイ教は、ベトナム新宗教。1919年(1920年説あり)、ゴ・ミン・チェウ(ベトナム語: Ngô Minh Chiêu / 吳明釗, 1878年2月28日 - 1932年)[1]とレ・ヴァン・チャウン(ベトナム語: Lê Văn Trung/ 黎文忠, 1876年 - 1934年12月19日)によって唱えられた。五教(儒教道教、仏教、キリスト教イスラム教)の教えを土台にしたことから、カオダイ=高臺(高台)と名付けられた。のである。つまりは、世界に遍く様々な教えのいいとこ取りのような教義を敷いている新興宗教だ。失礼を承知で言ってしまうが、なんと胡散臭いのだろう。最高だ。しかし、全世界に300万人以上の信徒が存在するなど、その影響力は底知れぬものがあるのは事実だろう。

そんなカオダイ教の総本山をホーチミンから訪れる場合、ベトナム戦争時の遺構を残すクチとセットでツアーを組むのが一般的である。しかし、ツアーに申し込むと日帰りとはいえ夜遅い時間のホーチミン着となる。この日の夜に日本へのフライトを予約しているためあまり時間をかけたくなかったが故に、今回はカオダイ教寺院に絞って自力で訪れることにした。この方が安上がりだし自由が効く。そして、ここまでの旅ではツアーに頼ったり日本人宿にお世話になるなどイージーな選択を取りがちであったのだが、最後くらいは自分の力で何かをしてみたいと思ったのも事実である。学生のころはそのくらいお茶の子さいさいだったし今回も余裕っしょ、という根拠のない自信がむくむくと芽生えてきた。もちろんこれはフラグである。

ホーチミンから乗り込んだバスでは、となりに座った現地民のおっちゃんが『探偵学園Q』のベトナム語版コミックを読んでいて面白かった。『探偵学園Q』なんて本当に久しぶりに存在を思い出した。どんな内容だったかは全く覚えていない。途中、窓の外に元気玉みたいな格好でバイクにまたがる人を見かけたので何事かと思ったらアクリル板を運んでいるだけだった。しかしなぜアクリル板を。こういったよく分からん荷物の運搬は東南アジアあるあるでだったりもするので、今度旅に出た際は謎物質運搬バイク追っかけのワンテーマで攻めてみたいとかなんとか。1時間半ほどで終点。ここで別のバスに乗り換えて2時間ほどでカオダイ教寺院へと到着。ちょうど礼拝の時間だったのでラッキー。

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ここまでは順調にことが進んだのであるが、礼拝を見終えた後が辛かった。まず、ご飯処が全く見つからない。カンカン照りの酷暑の中をひたすら歩き回ったが寺の周りにはまともな店が一軒もない。飲食店がないことはないのだが、どれも絶望的に汚いか、食事未満の何かしか出てきそうなない雰囲気。ホーチミンではお金さえ惜しまなければある程度のクオリティの店にはすぐ出会えたのだが。これが地方格差か。仕方がないので帰りのバスに乗車したのだが、水を補充せずに乗り込んでしまった。水分補給を封じられたままノンクーラーの灼熱に2時間揺られ続けたため当然の如く熱中症気味に。乗り換えのタイミングでペットボトルを購入できたのでなんとか事なきを得たが、食料が見つからず結局朝ご飯以降全く食物を腹に入れられず。ツアーに申し込んでいれば、空調の効いた快適な車でランチ場所もアレンジしてくれたのに。多少時間が押したり自由度が減ったとしてもツアーにすればよかったと後悔しっぱなし。なんとかホーチミンに戻れたが、長旅(往復7時間超)の疲れが出たのかもうこれ以上観光しなくていいやという退廃感に襲われフライトの時間までずっと日本人宿のレセプションで備え付けの漫画を読んでいた(『銀の匙』面白いですね)。

空港でチェックインを済ますが、ついにこのタイミングで体調不良が爆発。喉痛も限界に達する。フラフラになりながら保安検査などの手続きを行うが、1時間の出発遅延のアナウンスが。悪いことは続くもので、登場直前に手荷物検査を受けさせられる。手荷物は6KGまでとの規約は認知していたが、今までの旅行では一度も厳密にこの規則が適用されたことはなく多少の超過は大目に見られていたので油断していた。手荷物合計8KGで見事超過料金を支払うことになってしまいました。ドタバタで疲労はマックスとなり、せめてフライト中はゆっくりと睡眠を取りたいものであったが、LCC特有の超狭小座席で全く心休まることなくベトナムを後にした。

帰国後、暫く寝込む。学生のころと同じような予定の組み方に限界を感じた旅となりました。次回は空気の綺麗なところがいい…