角幡唯介『旅人の表現術』

 

旅人の表現術 (集英社文庫)

旅人の表現術 (集英社文庫)

 

ノンフィクション本大賞『極夜行』で一躍名を馳せた極地旅行家兼ノンフィクション作家・角幡唯介。本書は、彼がこれまで発表してきた対談や書評をまとめた一冊である。本書の魅力は、繰り返し語られるふたつのテーマ—「人が冒険する理由」「書くことと旅することのジレンマ」—に凝縮されている。

なぜ人は冒険するのか。氏の見解では、まず冒険とは「脱システム」的な行為である。すなわち、「体制(システム)としての常識や支配的な枠組みを外側から揺さぶる行為」であり、それは結果的に、開高健の言葉を借りるなら、むき出しの死に溢れた<荒地>へと向かうことを意味する。<荒地>は、自然本来の荒々しさを失い文明によって生の確保された日常では決して味わうことのできない死の香りが充満している。つまり、死を生に取り込むことによって生が充足されるという逆説的な行為こそ冒険であり、人はそれを通して惰性の生に意味を与えているということのようだ。

また旅人にとって、自分の行為の純粋性に疑問を持つ瞬間が必ずあるものだ。それは、果たして自分の行いが果たして「純粋な」志向から放たれたものなのか、表現のための演出として紡がれたものなのか、その区別がつかない場合が少なくないということである。たとえば、北京経由でのツアー参加で北朝鮮へ旅行するとして、その訪朝という行為は、北朝鮮を一度見てみたいという「純粋な」願望から生まれたものなのか、はたまた「俺は北朝鮮に行ったことがあるんだ」という武勇伝的な語り草を発しての「不純な」動機に端を発した演出かのか、自分でも分からないということは考えられるだろう。この問いに対して、前問のような明確な答えは本書では示されていない。しかし、この表現と行為のジレンマは、冒険という一行為に留まらず、生きること全般に関わってくる問題であり(あの時の私の行いは、私という自我が主体的に選び取ったものなのか、はたまた傍観者的な目線を意識した行いであったのか、のようなこと)、すべての人間が考えぬかければならないテーマではないだろうか。

兎にも角にも、本書の魅力は冒険という不合理な行為に対して、言語によって明瞭な自己弁護を図ろうとする哲学的態度にある。旅人でも、そうでない人でも、一度読んでみていただきたい。自分の行為にどのような意味があるのか、そんな面倒だが大切なことを考えるきっかけになるはずだ。