マスクと動揺

マスクを発掘した。そろそろ持ち合わせが切れそうで、どうしようかと悩んでいたところだった。引越しの際に念のため買っておいた一箱分が食器棚の奥にそのまま放置されていた。ひとまず向かう2ヶ月は困らないだろう。

それにしてもこの騒動の影響力はたいへんなものである。普段割と社会と接点を持たない自分の生活にもしっかりと忍び込んできやがった。毎日ネットで情報を漁り、働き方も変わり、マスクを見つけて大喜びしている。かなり俗っぽいではないか。

いまが大変な事態であることは間違いない。罹患して苦しむ人や、自粛風潮によって職を失う人もいるだろう。自分の身だってわからない。それでも、とても不謹慎だと思うのだが、この非常事態に妙な高揚感を覚えてしまう自分がいる。

そういえば、9年前も似たような精神状態にあった。あの日から数週間の異常な有り様は今でも易々と思い出すことができる。流れ続ける不気味なACのCMを背景音に、あの時の自分はたしかに世界とともに揺れていた。社会と自分の動揺がリンクしているという異様さがアドレナリンを分泌させていたのだろう。

非常事態の最中こそ、私たちは社会の中で生きていることを実感する。それは人々の中に燻るある種の感情を刺激するだろう。世界に包まれている感覚に心地よさを覚えることは間違いではないと思う。大ヒットしたポップミュージックに聴き入るようなものだ。それはそれで良いと思う。ただ、そこには危険も伴う。世界に包括されることの快楽にかまけて、自己の全てを預けてしまわないように生きていきたい。