よくわからない

 

あるひ私は一大決心をして文庫本の中にもぐってやった。物語は思ったよりも深さが無くてがっくりしたけれど、横の世界はどこまでも続いていて胸が高鳴る。水中から浮き上がってくる言葉たちを吸って吐いていれば息はいつまでも持つようである。

ずっと泳いでいくと、水中に宙遊するとても大きな一軒家が目に入った。窓から老婆のような物体が手招きしているので、お言葉に甘えて(といっても彼女は一言も発していないのである。これが言葉の綾というものだろうか)玄関を強めにノックした。だれも出てこないからドアノブをつかんだら、鍵がかかっておらず、そのままドアを引いて中に入ることができた。

三和土でスニーカーを脱いでお邪魔すると、長い廊下がどこまでも続いていた。先は暗く、見通しは立たない。家の内は文字で満たされているから、先ほどまでとは比べ物にならないほどに呼吸が楽であるのだが、何者かが私のことをどこからか狙っているような気がして嫌な感じ。気を紛らわすためにポケットからiPodを取り出して何時もの音楽を聴きいることにした。しかし、イヤホンから流れてくる音楽が私の言葉を奪っていくのだろうか、次第に呼吸が苦しくなったので、iPodはあきらめてカバンにしまった。

いつまで行っても廊下が続いている。出口を見いだせない道は醜悪なので法律で禁止されているはずだが、この水中の一軒家まで法治が行き届いているのか分からなかった。

歩き続けているうちに、この道は絞首台へと続いていると気が付いた。むかし見た映画でこんなシーンがあったなと思いだした。そうか、私は死に値するのだと思ったら、涙が止まらなくなった。死ぬことすらできない無数の魂たちを私は知っている。

ついに絞首台が見えた。ああ、さよなら人類。いつか輪廻がめぐってきたら、またケーブルカーに乗りたいな。きれいにきれいに人生を踏みしめてみたい。感慨にふけりながら、私はいっぽいっぽ死へと近づいて行った。だけれども、私の体はいつまでたっても絞首台にたどり着けない。いつまで歩いても周りの景色が付いてきやがる。どうしたらよいのだろうか。死ぬことも生きることもままならない。ひどいと思った。

その後も幾年か同じ状況に置かれ続けていたはずだが、いつのまにかびしょぬれで立ち尽くしている自分の姿に気が付いた。床には少しの水分を含んで文庫本が転がっていた。