第166回芥川龍之介賞 受賞作予想

芥川賞候補作を全て読み終わったため、各作品の感想と受賞作の予想を書き記す。

最も身体に迫る気迫を感じたのは砂川文次「ブラックボックス」であった。読了後しばらく鉄アレイで後頭部をぶん殴られたようなショックからしばらく抜けだすことができなかった。いわゆる”社会の底辺”で生きる男が破滅していく様が描かれる物語。そのように記せば得てして社会派小説と受容されかねないが、本作はそれ以上にひとりの人間の生をひたすらに描かれており、社会という問題を語る以前に存在するひとりひとりの人間の生を現前させる。また、「保険とか扶養とか、見るだけで言葉の意味と音とが空中分解sるような単語をつかいこなせることが大人になったりちゃんとしたりすることなんだ」と思いながらも、勉学に勤しんでこなかった男にはそのような「ちゃんとした言葉」が理解することができず、結果としてそのことが彼に破滅をもたらした点も非常に印象的であった。一般的に社会とのつながりの象徴として描かれることの多い言葉によって、逆に社会と乖離させられる。想像の共同体である社会よりももっとリアルな現実を見せつけられる。淡々と書き進めらながらも肉体感を持った文体も物語の孕む焦燥感をドライブさせる。本作によって書き示された現実感は他作品を圧倒していた。

乗代雄介「皆のあらばしり」についてはどうだろうか。元来のファンである筆者は乗代氏の作品をこまなくチェックしており、もちろん本作も候補となる前に文芸誌上で読了していたが、こちらが芥川賞候補に選ばれたことを知ったときは少し驚いたとともに”もったいない”と思った。幻の歴史書を探求するなぞ解き要素も含んだ物語であるが、いかんせん”芥川賞っぽくない”。「最高の任務」や前作「旅する練習」(大傑作!)は”書くこと”をめぐる、純文学然とした内容であったが、本作は少しコンセプトアルバム的な立ち位置のように思えてしまったのだ。もちろん作品としては最高に面白いのであるが、限られたノミネート回数の一回として今作で候補作入りしてしまうのはもったいない気がしてならなかった。しかしながら改めて本作を読み返すと、ものごとを書き残すことへの切実な思いが作品全体を通底していることに気が付き、エンタメ性を備えた純文学としての一面を全く持って失っていないことに気が付く。「でもな、そこらに立っとる石碑石仏墓石を見んかい、伝わらんでも人の思いが残る法もあると知らせとるがな。その思いを後世の人間が汲んでやれば、当人たちも報われるっちゅうもんやないか」と語られるセリフが、負け戦に勤しむ私たちの光となって眩しい。読書メーターに投稿した内容をそのまま転載する。

ほとんどの人々が気に掛けることもないだろうが確かに存在した歴史的人物の残した書物をめぐる物語。何かを知ろうとすることは、その何かや誰かが精いっぱいに伝えようとした何かに真摯に耳を傾けるということである。即時的に伝わらないことでも、思いだけは残存し、いつか誰かに伝わる可能性を内包し続ける。その連鎖への信奉こそが文学の核なのかもしれない。知ること、学ぶことの愉悦と興奮を味わえる一冊。

最も大きな文学的野望を感じたのは島口大樹「オン・ザ・プラネット」であった。デビュー作「鳥がぼくらは祈り、」で全く新しい文体をお披露目した新進気鋭の若手作家による第二作は、記憶や時間といった人間の根本に迫る哲学的思弁を転がしながら鳥取砂丘を目指す四人組を描いた青春ロードノベル(?)。思いだす事などに対する島口氏のまなざしは滝口悠生にも通ずるものがあり非常に興味深い。また、旅という要素によって、観念に終始する虚構的な作品に陥らずに身体性や現実性を確保している点も素晴らしい。今後の作品もずっと追いかけていきたい才能であるし、初ノミネートから一気に受賞する可能性も十分に秘めていると考える。

九段理江「Schoolgirl」太宰治「女生徒」を題材とした作品であり、かつ、同作のサンプリングとも云うべき文体やモチーフによって構成されている。かさぶたを容赦なく剥がして傷口に指を突っ込むような痛々しさをしっかりと書ききれる作家だと評価したが、母娘の寄り添う過程にもう少し筆を割いても良かったのではないかと思われる。とはいえ、こちらも今後注目していきたい作家であることに間違いはない。

最後に、石田夏穂「我が友、スミス」。題名からはまったくわからないのだが、まさかの筋トレ小説。身体性の表現という部分では候補作の中で一番であったと思われる。また、その最大の特徴はブログ記事のようなひょうきんな文体にあると思われるが、それは逆に安っぽさを演出してしまっている感もある。内容としては非常に興味深く読めた。

以上をまとめて受賞作を予想する。私の中での評価は砂川文次「ブラックボックス」が最も高かった。三度目のノミネートということも追い風になるのではないか。また乗代雄介「皆のあらばしり」島口大樹「オン・ザ・プラネット」の受賞も十分考えられ、今回は上記三作のうち二作品の同時受賞になるのではないか。組み合わせを一つに決めるのであれば、砂川文次・乗代雄介の二名同時受賞を筆者の受賞予想とすることにする。

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