『silent』と草野正宗の言葉

前書き(よまなくてもいいです)

歳をとるごとに涙腺が緩んでいくと聞いてはいたものの実際に自分が二十代も後半に差し掛かり思うのは自身の涙の価値がだんだんと下がっているということにある。いやそもそもの話てめえの汚い涙になんて誰も興味ないぜアホンダラと言われたらこぶしを握りしめて唇をかみしめるしかないのだが、しかしまあこの世に生を受けて日本国民の三大義務ぐらいは果たしている身としてそのぐらいの主張があっても許されるのではないか。

さて、何の話か。そうそう、なんか『silent』とかいうドラマが話題らしいじゃないか。ほう、どうやらスピッツが物語に大きくかかわってくるのか。一見すると「親と友達とこの世界に感謝系のキラキラ難病モノ」みたいな感じで気に入らんのだが、試しに見てみるかとTverの見逃し配信に手を出したのが約3週間前、そしていま私の部屋では滂沱の涙を垂れ流す三十路男がスマートフォンの小さな画面をじっと見つめているではないか。

枕が長くなったが、要するに、このドラマは、最高である。最高だから、何かこれについて書きたいと思った。どうせ書くなら、スピッツを絡めて書きたい。じゃあ、「草野正宗の詩世界を参照しながら、本ドラマの魅力に迫る」みたいな記事を書いてみよう、というのが、本記事の趣旨なのである。

↓から本題。

 

「表の意味」を越えて

さわやかで端麗なパブリックイメージに反し、スピッツ草野正宗の詩世界には「死と性」が重低音として鳴り響いており、実際かつて草野はインタビューにて「俺が歌を作るときのテーマって”セックスと死”なんだと思うんですよ」という言葉を残している。一方で、物語に欠かすことのできない装置としてスピッツの楽曲が動員されるドラマ『silent』においては、「死と性」は清々しいほどに顔を出さない。誰も死なないし、誰も交わらない。しかし、脚本を務める生方美久が自身のTwitterで「スピッツの「楓」みたいなお話書いてる」と投稿している通り、本作の底流には確かに草野が紡ぐ言葉が鳴り響いているのもまた確かである。では、生方は草野文学の核「死と性」以外のどういった部分を本作に塗りこんでいるのだろうか。それを探るためには、草野の言葉が持つもうひとつの魔法、意味性の超越について考える必要がある。

草野は自身が所有する圧倒的言語センスとは裏腹に、言葉というものに対して多くの信頼を寄せていない。いやそれどころか、「言葉はやがて恋の邪魔をして/それぞれカギを100個もつけた」(ハヤテ)と書くように、かえって言葉がコミュニケーションを疎外することにすら意識的である。だがしかし、草野は言葉そのものを信じない代わりに、言葉に付随するあれこれについては積極的に肯定を見せる。「誰彼すき間を抜けて/おかしな秘密の場所へ/君と行くのさ/迷わずに/言葉にできない気持ち/ひたすら伝える力/表の意味を超えてやる/それだけで」と綴る「初恋クレイジー」の言葉はまさに象徴的であろう。この「秘密の場所」というのは、代表曲「ロビンソン」で語られる「誰も触れないふたりだけの国」と同義であると考えられ、要するに、言葉の「表の意味」ではない何かによって「ふたり」の関係は一般的コミュニケーションを超越した地平線へと引き揚げられるわけである。

このことは、『silent』にも登場する「魔法のコトバ」の歌詞「魔法のコトバ/口にすれば短く/だけど効果は/すごいものがあるってことで/誰も知らない/バレても色あせない」にもしっかりとあらわれていて、ここでもやはり「誰も知らない」「魔法のコトバ」によって「表の意味」を越えて「誰も触れないふたりだけの国」に到達できることが示唆されている。

本ドラマにおいても、言葉が「表の意味」を超える瞬間は枚挙にいとまがなく、と言うよりむしろ、それこそが主題と言っても過言ではないだろう。では、表の意味を超えるためにどのような魔法を言葉に塗りこんでいるのかといえば、それは、とてもありきたりかもしれないが、「想い」である。「言葉はまるで雪の結晶/君にプレゼントしたくても/夢中になればなるほどに/形は崩れ落ちて溶けていって/消えてしまうけど/でも僕が選ぶ言葉が/そこに託された“想い”が/君の胸を震わすのを諦められない/愛してるよりも“愛”が届くまで」という主題歌「Subtitle」(Official髭男dism)の歌詞を引用するまでもなく、本作ではあらゆる言葉に想いが(意識的/無意識的を問わず)込められており、たとえば紬の「ハンバーグ以外」という言葉には、たとえば古賀先生の「佐倉ダサいわ」という言葉には、たとえば奈々の「聞くよ」という言葉には、「表の意味」を遥かに超えた「想い」が込められているではないか。

しかしまた、言葉に込められた裏の意味がすぐに伝達されないことだって往々にしてある。「好きな人がいる」という言葉に想が込めた想いに紬は八年間気づくことができなかった。紬もまた「普通に、声で話せるんですけどね、湊斗とは。伝わらないものですね」と想いの伝わらなさを嘆く。そのような「伝えたい/伝わらない/その不条理」こそ人間関係の本質なのかもしれない。そのように言葉に閉じ込められた想いは、しかし、あるときひょっこりと顔を出して、私たちはまなこを潤ませることになる。そのような落涙の中で、根っからのスピッツファンである筆者などは、「隠し事の全てに声を与えたら/ざらついたやさしさに気づくはずだよ」(ベビーフェイス)という草野の言葉を思い出してまた泣く。『silent』というドラマの素晴らしさは、融解した想いのきらめきにこそあるのだと、強く思う。

 

告知

11月20日文学フリマ東京35に短編集『みりん、キッチンにて沈没』を出品します。

表題作はカクヨムに全文掲載しておりますので試し読み感覚でご一読いただけますと幸いです。

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kakuyomu.jp