WBC2023日本代表に寄せて

体の奥底から熱いものがこみあげてきたのは、フルカウントから投じられたスライダーがマイクトラウトのバットをすり抜けた瞬間でも、激闘を戦い抜いた男たちが抱き合う時間でも、英雄たちが胴上げでマイアミの宙を舞ったタイミングでもなく、世界中の興奮がいったんの落ち着きを見せた頃合いだった。

ああ、WBCは終わってしまったのだ。もうこのチームを見ることはできないのだ。そんなことを考えたら、寂しくなって、悲しくなって、でもなんだかうれしくなって、でもやっぱり寂しくなって、もうぜんぶ分からなくなって、とにかく涙が止まらなくなっていた。

チームが結成されてから、宮崎キャンプからカウントしても一か月ほどの期間しかない。それだけの付き合いでしかないのに、これほどまでに愛着をいだいたチームがいまだかつてあっただろうか。

若手をまとめあげるダルビッシュの献身(一般人とSNSでしょっちゅう喧嘩していたころを知っている身としては彼の精神面での成熟には感慨深いものがある)、人間性だけでなくプレー面でもファンの心をつかんだヌートバーのハッスル、不振にあえぎながらバットを振り続けた村上の復活、すべての選手がかみ合って、これ以上ないチームが出来上がった。そしてその中心には、いつも大谷翔平がいた。

大谷が現れる、大谷がバットを振る、大谷がボールを投げる、大谷が口を開く。なんでもないひとつひとつの所作にファンは湧き、ファンでもない人間も注目し、一流の選手たちもが熱狂した。日本野球が生んだスーパースター。大谷を表現するにあたって、これ以上の言葉はないだろうし、彼が代表チームを率いたからこそ、ここまでの熱狂が生まれたのだろう。

もちろん、大会を盛り上げたのは日本チームだけでない。トップリーグのプレイヤーたちがこぞって、自国の野球の威信をかけて戦った(一流選手に参加を勧め続けたマイク・トラウトの功績は見逃せない)。十年前は閑古鳥が鳴いていた世界各地の球場にも、いまでは満員の観客が埋め尽くし、それぞれの熱狂が、ひとつならざる感情が、そこに満ちていた。WBCという大会が、いや野球という文化が、先人たちが捲いた種を実らせて、ここに大きな花を咲かせたのだ。

準決勝で日本に敗れたメキシコ代表の監督・ベンジー・ギルは試合後にこう語った。

Japan advances, but the world of baseball won tonight.

「日本が勝ったが、今夜は野球界の勝利だ」

まさにそうなのだ。勝ったのは、野球でありbaseballであり棒球なのだ。このあまりに素晴らしい言葉を聞いたとき、野球という文化を愛してきて本当によかった、意味があったのだと思った。はじめて両親に連れて行ってもらった東京ドームでの興奮が、テレビにかじりついてプロ野球を見ていた日常が、がらがらの神宮球場に足を運んだ思い出が、河川敷の球場で下手なりに白球を追いかけた青春が、すべてここにつながっているのだと、本気で思えた。そうだとしたら、私も少しは、この野球界の勝利に貢献できたのかもしれない。なんて考えながら、ひとしれずまた静かに泣いた。