タコス、トイレ、ピラミッド。 メキシコシティとテオティワカン遺跡

リアルタイム 6/29 東京

とっくに帰国しています。キューバにいた間にネットが使えず、メキシコの記憶が曖昧になったりして更新面倒くさすぎてさぼってました。

 

5/20

いよいよ南米ともおさらば。朝一の飛行機でクスコ→リマ→パナマを経由してメキシコシティに到着!四か国目、メキシコ!時刻は翌日午前1時。とりあえず空港泊。ここでも寝袋が大いに役に立つ。

 

5/21

空港のベンチにて5時ごろ目覚めると、すこぶる体調が悪い。実はアメリカ在住の日本人の友人が6時ごろの便でやって来て合流する予定だったのだが、痛烈な便意に襲われトイレに籠城。こんな感じでその友人とおよそ半年ぶりの再開を果たしたわけだが便意が強すぎて感動はない。ひとまず予約しておいた中心街のホテルへとタクシーで向かう。宿はホットシャワー完備のまともなホテル!いやあ、アツアツのシャワーをたっぷり浴びれるということがいかに幸せなことか。しかも、二名二泊で39ドルくらいと、このレベルにしては破格の値段。とにかくこのメキシコ、何から何まで物価が安い。露店のタコスは一つ大体5ペソ(約30円)。水1.5リットルが10ペソ(60円)。ボリビアも安かったけれども、メキシコは品ぞろえも豊富。いたるところにあるセブンイレブンに行けば、お菓子からアイス、ワインまで何でも手に入る。しかも格安の物価で。お金を気にする必要がないので、そうとくればおいしいもん食って豪遊...したかったのだが、相変わらず体調がバリ悪い。タコス一個を食べるのがやっとで、この日はとっととベットにもぐりこみました。

 

5/22

起床。体調が少し回復したので予定通りテオティワカン遺跡に向かう。メキシコシティの北バスターミナルでバスに乗り、片道約二時間。

 

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初めてのピラミッド!この「太陽のピラミッド」は高さ約65メートル。エジプトのそれと比べるとややスケールダウンするが、それでもなかなかの迫力。結構急な階段を上って頂上にたどり着くと、

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 もう一つの「月のピラミッド」を一望できる。その後、遺跡内のレストラン(というよりほぼ屋台)でタコスを食らう。

 

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まともにものが食えるまでは回復。やっぱり人間たべることがいっちゃん楽しいです。そんな感じでテオティワカンを後にしたのだが、シティのバスターミナルについたとたんにまたもや腹痛が。バスの中で暴発しなかっただけましか。。しかし、このメキシコのトイレ、なぜか便器のないものが多くて潔癖症ぎみの日本人には結構きつい。なんとか腹痛からは立ち直り、その後はシティ中心の飲食店をめぐる。途中いい感じのバーがあったのでついついビールを飲んでしまったのだが、これがいけなかった。せっかく治りかけていたのに、体調が再悪化。下痢に関してはますますひどくなる一方。つらい。。。

 

5/22

友人がアメリカに戻ったので、宿を移すことに。有名な日本人宿ペンション・アミーゴに移動。ここ、漫画部屋があって結構過ごしやすかった。ドミトリー一泊たしか120ペソ(約600円)。今日も食欲はない。

 

5/23

翌日の朝の便でキューバに向かうので、実質メキシコ最終日。せっかく来たのにメキシコ料理をほとんど食べられていない。体調はまあまま回復したので、露店をひたすら回る。タコス食ったり、アイス食ったり。。。まだ本調子じゃないが、なんとかなった。明日からいよいよ情熱の国キューバへ!!

スタンド・バイ・ミーでマチュピチュへ

リアルタイム 6/21 メキシコ
腹痛でタコスが思うように食べれない。

6/12
インカ帝国の首都クスコに到着。クスコとは、ケチュア語(いわゆる「ネイティヴアメリカン」の言語の一)で「へそ」の意。その名の通りインカ帝国においてクスコは世界のへそ、中心であった。そして今でも、旅行者にとってはマチュピチュやアマゾンツアーなど、観光スポットの拠点となるいわばペルー、いや南米観光の中心地である。素晴らしい街並みなのだが、いかんせん坂が多い。標高3600mに加えてこの坂道、さらに安宿は大抵心臓破りの坂の上にあるのでとても体に応える。しかし、ボリビア以降ずっとこんな感じで、なんだか高地トレーニングしてるようだ。きっと帰る頃には長友級の運動量とスーザンボイル並の肺活量を手にしていることだろう。冗談はさておき、早速マチュピチュ行きのツアーを探して旅行会社を巡る。マチュピチュはそれ自体の入場料も62ドルと高い。それに加え、クスコから麓のマチュピチュ村まで行く列車が片道安くても70ドルと本当にバックパッカー泣かせ。まさにペルー政府の観光戦略。しかし、これには抜け穴がある。クスコから途中の村まで直行バスが出ているのでそれに乗り、あとはマチュピチュ村まで徒歩で向かうという方法だ。これだと、マチュピチュ入場料、マチュピチュ村の宿泊費、バス代全て込みで85ドルくらい。体力は使うが、貧乏旅行人にはこちらで行くしかない!適当な旅行会社を発見したので、ここでレインボーマウンテン(詳細は次回)への日帰りツアーも含めて申し込むことに。現地通貨ソルで支払うので、マチュピチュツアー85ドルは277ソル。これにレインボーマウンテンツアー80ソルが追加され、合計355ソル(約12000円)の支払いになるはずだった。しかし、ここで奇跡が起こる。ツアー会社のおばちゃんが電卓を使って両ツアーの合計金額を計算する際に、レインボーマウンテンの80ソルを8ソルで計上。そのまま気付かず277+8=285ソルの支払いで住んでしまったのだ。なんとレインボーマウンテンに300円で行けることに。流石に悪いなと思ったので、金額確認の時に「本当にこの金額でいいんだな??」と3回くらい確認したが「No ploble!」とのことなので決して僕に落ち度はありませぬ。まあ、自分の子供には算数の勉強だけはさせようと思いました。

6/13
朝7時40分にツアー会社に集合し、バスでマチュピチュ村近くの停留所へ向かう。ツアー会社のおばちゃんに昨日のだまし取った誤差が生じた金額を催促されるのではとビクビクしていたがお咎めなし。険しい山道をバスは進んで行く。途中道が崩れかかり、数10分足止めを食らったりしたが、すぐに復旧し、なんとかバスで行ける最果ての地点に到着。そこからはクスコから発車する列車の線路に沿ってマチュピチュ村を徒歩で目指す。線路の上を歩いて行くことからこのツアー、「スタンド・バイ・ミーツアー」と言われている。途中こんな鉄橋を渡ることも。

気分はすっかりスタンド・バイ・ミーなはずなのだが、映画を見たことがないのでいまいちよく分からん。是枝清『奇跡』の方が自分にとっては分かりやすい(単に見たことがあるからってだけだけど)。約3時間歩き続け、日もすっかり暮れた午後7時頃マチュピチュ村に到着。夜ご飯食べて、宿に着いて(料金はすべてツアーに含まれている)、疲れてすぐ寝ました。

6/14
今日も歩く。目指すマチュピチュ遺跡は山の上。村から二時間くらいかけてほぼ登山と言っていい道のりを行く。これが結構キツい。汗がダラダラ。12ドル課金したらバスで上まで登れるのだが、そんなものは憎きブルジョワの所業。我々バックパッカーはキツい、汚い、危険の3Kをモットーに生きているのだ。ブルジョワ打倒!などと訳の分からないことを抜かしたり抜かさなかったりしながら、横を通るブルジョワどものバスを横目に、駆け上がった。そして、ついに到着!

本当はこの写真をとるまでに入場待列でのおばさんツアー客の割り込みだとか、一緒に山を登ったスロバキア人が他の友達と合流してボッチになりかけるとか、いろいろあったが、やはりマチュピチュはこの写真がすべてを物語る。決して文書構成が面倒くさかった訳ではない。マチュピチュを見終わった後は、下山してマチュピチュ村にもう一泊。ついた頃にはもうクタクタ。しかし、一緒に来た欧米人たちがその日のうちにまたスタンド・バイ・ミー3時間の道のりを歩いて帰って行ったのを見て、やはり人種の壁というものがあるのだと思い知ったのである。

6/15
特に記すことなし。ツアーが一緒だったアルゼンチン人カップルと一緒に帰路3時間歩き、バスに乗りクスコに着き、一日が終わりましたとさ。↓は道中の夕陽です。


レインボーマウンテン

リアルタイム 6/23 メキシコ
プロ野球が気になってきた。坂本が首位打者って、信じられん。

6/16
休養日。何したか全く記憶がない。とりあえず、マチュピチュツアーで削られた体力の回復に努める。明日は通称レインボーマウンテンへのツアーに参加する。レインボーマウンテンといってもボスの缶コーヒーではなく、その名の通り7色の色をした標高5000mの山である。地球の歩き方には乗っていないが、現地クスコでは旅行者に大人気。写真を見せてもらったが、本当に色鮮やかなレインボーでびっくらこいた。これは見に行くしかない!と思ったがよく考えたら写真の加工しだいでいくらでもごまかせるよな、と猜疑的に。しかもまた山登りかよ、とあまりテンションは上がらない。さらに出発は朝の3時半。疲れた。

6/17
朝3時に起床。約束の3時半に当然向かいはこず、結局来たのは4時前くらい。この程度の遅延くらいでバタバタしてはこっちではやっていけない。バスは悪路を進んで、7時頃レインボーマウンテンの8合目的場所にたどり着く。標高は4000mを超えている。山羊とアルパカの大群がお出迎え。かわいいヤツらだが、こいつらもいずれ食用として食卓に並ぶと思うと少し哀れ。簡単な朝食の後、頂上を目指して約3時間のトレッキングが始まる。

一面素晴らしい景色だ。今のところ体力は余裕。どうやら2000円ほど課金すれば馬に乗るというチートができるらしいが、そんなもの要らぬ。悠々と歩いていたが、ここである事実に気づく。「俺、これまで山登ったことあったっけ?」。よくよく考えたら、山なんて高尾山くらいしか登ったことなかったのである。そんなペーペーが標高5000mを登ことなんてできるのであろうか。一抹の不安がよぎってくる。最初の2時間くらいは余裕だったが、最後の1時間がしんどかった。急勾配と低酸素で息が上がってくる。「たった2000円で馬に乗れるんだぜぇ」と悪魔の囁きが聞こえてきた。たしかに、後日のダメージを考えてら2000円なんて安いもんかもしれない。しかし、日高屋の餃子定食370円ですら高いと思う自分の貧乏精神の前ではそんな誘惑門前払いであった。頑張って頑張って、ついに頂上にたどり着く。




まじで、鮮やかなレインボーだった。ここまで登ってきた充実感と、この素晴らしい景色に思わず心を動かされるものがあった。頂上は風が冷たくて長居はできなかったが、大満足の眺めであった。少し休憩して、下山。昼食を食べて夜クスコに帰還。本当に、今まで見た景色の中で一番綺麗だったかもしれない。標高5000mを登りきったというのも自慢できる。でも、もう山登りはいいかなあ。疲れるし。

6/17
再び休養日。とりあえず疲れた。明日はメキシコに飛ぶのでゆっくり休む。夜、クスコの夜景を見ながら色々と音楽を聴いて、ペルー最後の夜が更けていった。

ペルーにて、スマホを買う

リアルタイム 5/18 ペルー
今日は休養日。

5/9
ラパスにて、特にやることなし。ちょっと奮発して日本食レストランに行こうとしたが、あいにく休業日。しかし、どうしてもアジア料理が食べたく、中華料理店でチャーハンを食す。ボリビア入ってずっとリャマ肉と揚げ物ばかりだったのでそろそろ日本食への禁断症状が。松屋のみそ汁ですら恋しい。夜、宿の日本人の方々とビールを頂く。

5/10
朝8:00のバスで、ペルー側の国境の街プーノへバスで向かう。Bs.70 (約1050円)。途中、聖なる湖ティティカカ湖をボートで渡る。


湖畔の街コパカバーナでのバスの乗り換え、国境での出入国検査を経て、夕刻、プーノの街に到着。3カ国目ペルーに着いた。バスターミナルで若干料両替し、さっさと宿を決める。確かドミ1泊20s(約700円)。やっと一息つける、Wi-Fiもあるしタブレットでネットでも見るか、と思ったら画面が映らない。いや、そんなことないだろ、しっかりしろジョーと叫んだかは分からないが、甲斐なくご臨終。どうも壊れてしまったらしい。絶望。ちょっとしたパニックに陥る。iPhoneはスられる、タブレットは壊れる。もう外界との連絡手段が絶たれたと言っても等しい。ネットを奪われたことの恐怖がこれ程とは。しかし、ほんの数十年前までネットなんてなくて当たり前だったのである。逆に人間本来の生き方を思索できるいい機会ではないか、なんて高尚な考えはは現代っ子の自分の頭には毛頭浮かばず、ちょっとしたパニックに陥る。このままネットなしで旅を続けるのは実用的にも精神的にも厳しい。しかし、ここで旅をやめたら、あんなに息巻いて出ていったのに(笑)と皆には後ろ指を指され、Facebookは炎上、2ちゃんねるで晒されヤフーニュースのトップトピックスに躍り出て終いには社会的に抹消されるかもしれない。そこで考えた。

そうだ、店で携帯買えばいいんじゃね??

街中あちらこちらに携帯ショップがあったので助かった。街一番のショップに赴き、とりあえずiPhoneの値段を聞くと、安くてもiPhone4が1300s(約43,000円)。とてもじゃないが買えない。しょうがないのでもっと安いのを探してもらうのだが、日本語対応のものが少なくて大変。しかもここは南米ペルー、店員はもちろん英語なんて話せないのですべてスペイン語でやりとり。

自分「これ、日本語使える?」
店員「↑‼d?☆g〜?♥y_n^q」

なんてことがしょっちゅうだったが、なんとか日本語機能付きのandroid携帯を購入。199s(約6500円)。すっかり夜が暮れて、宿に戻る。夜飯を食べる気力はなく、この先の旅を案じながら就寝。

5/11
このプーノの街、ティティカカ湖に面しているため、湖の島を訪れるツアーなどいろいろと観光の見どころはあるのだが、昨日の一件ですっかり疲れてしまったので宿にひきこもることに。時間はたっぷりあったので、宿に置いてあった井上靖風林火山』を読む。

風林火山 (新潮文庫)

風林火山 (新潮文庫)

時代小説っていうのはあまり読まないのだが、暇つぶしにはもってこいだ。吉田健一による解説もなかなか。

時代小説の方が現代小説よりも入ってき易いのは、昔の人間の姿が今日のよりも我々にとってはっきりしているからではなくて、時代そのものがその後に更に年月がたっていれば、丁度、人間が長い間住み着いた土地の山河と同様に、誰の目にも確かにそれと解る個性を生じるのである。


さてさて、深夜のバスでマチュピチュ近郊、世界遺産クスコの街へと向かう。とりあえずみそ汁飲みたい。

おばちゃんプロレス、通称「おばプロ」を見てきた

リアルタイム 5/16 ペルー
歩き疲れた。明日も山登り。

5/7
iPhoneのことは忘れて、夜行バスでポトシからラパスへ移動。確かBs.40(約600円)。道が悪く、途中ひどい乗り物酔いにかかり、危うく地球の裏側で醜態を晒すところだった。朝目覚めるとちょうどお天道様もお目覚め。そのままiPodくるり「グッドモーニング」をかける。夜行バスに乗るといつも聞いてるなあ。

「夜行バスは新宿に着いたよ 予定より30分早く 冬の真夜中のようさ」って歌詞も、眠たげな歌声も、まどろんだサウンドも本当に早朝にぴったり。珈琲があればなお良いが。そんなかんやでボリビアの実質的首都ラパスに到着。憲法上の首都はスクレという街なのだが、政治経済の中心はこのラパスである。街は坂道が多く、標高もまだまだ3600メートル低度あるので移動が大変。ひとまず地球の歩き方にも載っているHostal Austriaに到着。確かドミ1泊Bs.40(約600円)。宿にいた日本人の方々と市場に昼食を食べに行き、その後はひとり別行動(はぶられた訳ではない)。ラパス名物ケーブルカーに乗って坂の上の街El Altoに向かう。

この街を訪れて理由は2つ。ひとつは盗難品が並ぶ通称「泥棒市」。もうひとつが、おばちゃんプロレス、通称「おばプロ」である(後述)。泥棒市では、盗まれたiPhoneがあるんじゃないか、とマック赤坂の当選と同程度の確率の希望にかけてみたが、もちろん見つからず。逆に人が多すぎて、また何か盗まれることの心配しかしてませんでした。泥棒市にすぐに飽きたので、丘の上からラパス市内を見下ろす。

時間が来たので、プロレス会場に乗り込む。おばプロは名前の通り、おばちゃんが参加するプロレス。しかもただのおばちゃんではなく、民族衣装を着た普通のおばちゃんっぽいのがプロレスをするのである。Bs.50(約750円)。

数試合行われるが、内容はワンパターンではっきり言って茶番。しかし、滑稽な感じは伝わるので一見の価値あり。ちなみに、おばちゃんだけでなく、男も参加する。外が暗くなって来たので途中で抜け出し、ラパスの夜景を拝む。


さらば愛しの我がiPhone

リアルタイム 5/11 ペルー
クソまずいサンドイッチを食べながら

5/6
スマートフォンが出た手の頃、iPhoneというのはどうしても鼻持ちのならない存在であった。所詮意識他界系のおもちゃだろ、と斜に構え、ガラケーをやめてからもずっとandroidを使っていた。しかし3年前、別名電動式カイロことアローズからiPhone5cに、理由は忘れたが変えることにした。驚いた。なんという電池持ち。写真も綺麗!発熱もしない!使いやすい!ジョブズ万歳!と手首がちぎれんばかりの掌返しをきめ、それから今まで、途中落として画面がバキバキに割るという修羅場もあったが、肌身離さず持ち歩いた。沢山の旅行を一緒に過ごし、沢山の思い出を共にしてきた。

そんなiPhoneが盗まれた。

場所はボリビアポトシ。鉱山ツアーを終えて宿でゴロゴロしていると、突然外で大騒動。祭りが始まったのだ。どうやらこの数日は、乾季の始まりを祝うお祭りが模様されているらしい。意表をつかれたが、これを写真に収めないわけにはいかない!と大慌てで外へ出る。人々の熱気と楽器隊の迫力、花火の喧騒。凄まじいエネルギーだ。一眼を取り出し、人ごみの中で写真を取ることに熱中する。どうせだからiPhoneで動画も撮ろう!と思ってポケットを探る。あれ、ない?おかしい、上着の左のポケットにいれてチャックを締めていたはずだ。落としたわけはない。ということは、

盗難

されたのだ。そういえばさっき人ごみの中で不自然に体を寄せられたような。バッグや後ろポケットを探してもない。そうなのだ、盗まれたのだ。急いで近くの交番に駆け込む。

自分「iPhoneスラれたんだけど」
警官「どんまい。盗難証明書は出してやるから諦めろ」

ハナから期待はしていなかったが、どうやら横浜が日本シリーズに進出してソフトバンクを四タテするくらいの可能性しか、取り返してもらえる見込みはないようだ。しかし、この盗難証明書、海外保険の保障の申請に必要になるのでとても重要。丁重に鞄にしまい込んで、とりあえず宿に戻る。悔しさと絶望感。まああんな鉄の塊どうでもいいや、と思いたいがそうもいかない。とりあえず今回の敗因をまとめてみると、

1 人ごみへの油断
こっちにきてから、インドや東南アジアのような人ごみにほとんど出会っておらず、若干の油断が生じた。

2 祭りが重なった
たまたま滞在期間中に一年に一回の祭りが重なり、ほとんど発生しない人ごみができた。

3 焦り
祭りが急に始まったので、焦って写真を取りに行き、冷静さを失っていた。

4 上着の選択ミス
普段はスリ防止用の上着(ポケットにチャックとバリバリ2つ付いていて、さらに後ろからポケットに手を突っ込めない仕組みになっているUNIQLOの上着)を来ていたのだが、今回はポケットにチャックしかついていない上着を着ていってしまった。

ざっとこんなところ。まあタブレットも持っていたのでどうにかなる。しかし、こっちに来てからバックアップを取っていなかったので、これまでの写真が全部飛んでしまった(泣)。ウユニのトリック写真とか、各所の料理の写真とか全部iPhoneで取っていたのに。しかし、もう片方のポケットには現金やカード、パスポートも入っていたので、そちらを取られなかったのは不幸中の幸い。と思うしかない。失意の中、翌日からはボリビアの実質的首都ラパスに向かう。

ポトシで鉱山体験

リアルタイム 5/9 ボリビア
味噌汁が飲みたいです。

5/3
ウユニツアー解散後、とりあえず宿探し。地球の歩き方にも載っているHotel Avenidaに決定。シングル一泊Bs.50(約750円)。ホットシャワー付きと言われたが、ぬるかったのは不満。特にやることなし。

5/4
今日は本当にやることがない。ひとまず、明日のポトシ行きのバスチケットを買いにいく。Bs.30(約450円)。その後市場で腹ごしらえ。リャマ肉たっぷりのスープがBs.12(約180円)。チリで同じものを頼めば500円くらいはしただろう。ボリビアは物価が安いので助かる。その他シャンプー等を購入して日が暮れた。

5/5
日本ではこどもの日。こちらではころもの日。朝一番で鳥の揚げ物を食べる。9時だったか10時だったか忘れたが、ポトシ行きのバスが出発。ポトシまで約5時間とのこと。しかし速度がえげつなく遅いのが気になる。山道が多いとはいえ、下り道でも阿部慎之助並みのスピード。時間もあるのでiPodを取り出す。スカート「CALL」、スピッツ「エスカルゴ」、Number Girl「透明少女」とかを聞いた気がする。特に印象に残ったのがPerfume「SEVENTH HEAVEN」。

久しぶりに聞いたが、旅行中一人で聞くと新鮮だ。First single「ポリリズム」のB面なのだが、メジャーデビュー当時から「終わり」を見据えた曲調と歌詞なのが泣ける。しかし、どの曲を聞いても全体的に日本で聞いたときよりテンポが著しく遅く感じた。高地で聞くとそうなるのだろうか?なんて考えてたら、ポトシの町に到着。これまた地球の歩き方推薦のHostal Compania de Jesusに宿を決める。朝食付きシングル一泊Bs.60(約900円)。熱すぎるくらいのホットシャワーが出るのが嬉しい。バックパックをやっていると、熱々のシャワーを浴びているときが一番幸せに思えてくる。これでさらに湯船に浸かれたら...とか思ってると、ホームシックになるので考えないことにする。日が暮れてきたので、メルカド(市場)へ夕食を取りに行く。

リャマの焼き肉売りのおばちゃん三人衆。値段は一皿Bs.6(約90円)。安いし旨い。この満足感は、チェンマイで食べたパッタイに次ぐ。ちなみにポトシ滞在中に三人衆の肉すべてをいただいたが、一番ひだりのおばちゃんのが一番美味しかった気もするし、毎日おばちゃんが変わっていた気もするが定かではない。他にも、ハンバーガーBs.5(約75円)、モツ煮込みBs.6(約90円)と、屋台飯はどれも安くて大変助かった。やっぱり、安いは正義だ。

5/6
本日はポトシ名物、鉱山ツアーに参加。このポトシという町、標高4000メートルに位置し、16世紀には世界一の銀の産地として栄え、ヨーロッパに大量の銀を送り込んだ。世界史を習ったことがある人なら聞いたことがあるだろう。ツアーの参加費はBs.70(約1050円)。実際に鉱山の中に潜入するので作業着に着替えたのだが、いざ鉱山に。

中はこんな感じで、ツアー内容は結構タフ。途中、本物の作業員とすれ違うので、事前に購入した(させられた)タバコなどを差し入れる。↓は鉱山の守り神。名前は忘れた。

こんな感じでツアー終了。ちなみにポトシの町には日本の中古車がたくさん走っています。

そしてこの日の夜、iPhone盗られます。それについては次回...