読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

中南米を放浪することになった。

というのも、諸般の事情により大学を半年休学することとなり、もて余した時間でどこか旅したいなと思ったのだ。中南米を選んだのは、みんな大好きウユニ塩湖に行きたいというややミーハーな理由もあったのだが、これまで中国→東南アジア→インドと旅してきたので、段階的に次はラテンアメリカだという感じ。

ただ、これまでの旅行と比べても圧倒的に怖い。東南アジアでは猛然と突っ込んでくるバイクと香辛料に、インドではしつこい勧誘と路上の牛糞に気を付けてればどうにかなったのだが、この中南米、色々調べるといきなり首を絞められお金を踏んだ食っていくというではないか。せめて筋骨隆々のスーパーマッチョだったなら狙われる可能性も少ないかもしれないが、女の子みたいなか弱い二の腕したひょろがりが歩いていたら飛んで火に入る夏の虫、あるいは間違ってMLBに放り込まれたツヨシニシオカのようにカモにされるのが関の山である。もし仮に抵抗の可能性を模索するのなら、高校時代野球部だったのでバットさえあればさもありけむと思いしも、やつらは銃を持ち合わせている可能性ありけん。銃弾を打ち返すほどのバットコントロールは残念ながら持ち合わせていないのでご愁傷さまでござる。(そもそもボールすらまともに打ち返せていないじゃないかとの批判は断じてうけつけない)

しかしだ。バックパック旅行は不安を楽しむようなもの。その不安が大きければ大きいほど楽しさも増すに決まっている(はず)。インドにいったときも熱出したりと色々と大変だったが、帰ってから思い出すと本当に楽しかった。今回もきっと同じだろう。帰ってこれれば。。

そんなことなので旅行紀的なものを徒然にかけたらいいなと思っている。文章うまくなりたいし。ゆくゆくは世界一周ブログで食いつなぎ、それがメディアに取り上げられて映画化。一躍時の人となりお金もガッポガッポ。億万長者となり、その資金を使ってプロ野球球団を買収し、念願のGMに就任…。というのも夢じゃないが、そんな不純な動機では決してない。ただただ、文章を書きたいのだ。

ちなみに、今回Amazonでバックパック

を購入し、以前から持っていたナイキのリュックをサブバックとして使っている。前回までは暑い場所を旅行していたので比較的荷物は少なかった。しかし今回は南米の秋から冬にかけての旅行、しかも高所のアンデス山脈一帯を巡るので、冬着が多くなりいささか荷物がかさばった。バックパックの方は重みをあまり感じないように設計されているだけにあまり重量を意識しないのだが、サブバックの方が六部地蔵もびっくりの重みを帯び、先々心配である。

電子用品はiphoneipod(これに財布を加えた三点セットを三種の神器と読んでおります…)、一眼(CanonEOSkiss7)といういつものものたちに加えて、今回はブログを書くということで親からandroidタブレットを借り、折り畳みキーボードも購入した。しかしこのセット、変換昨日がなかなかアレで、「盗難アジア」とか「案です山脈」とか、思わず21世紀の科学の未来を案じてしまいたくなるような代物であった。。


さて、そんなかんやで空港へ向かっている。
時刻は午後7時。土曜のこの時間の京急線羽田空港行き、乗客はまばらだ。特にやることもないので本を開く。

誰だって歳は取る。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、ある一つの時期に達成されるべき何かが達成されないまま終わってしまうことだ。それは仕方のないことではない。


村上春樹『遠い太鼓』、ヨーロッパで過ごした三年間をつづった旅行紀の、冒頭の一部である。別にハルキストではないのだが、今回の旅行と重ね合わせるとなかなか感慨深い内容である。この旅行が果たして「達成されるべき何か」なのだろうかはまだわからない。周りの同期が就活しているなか、のうのうと旅行していていいのかと悩んだこともある。ただ、それが「達成したいこと」であるのは確かな気がする。「行ったことのないとことに行ってみたい」という、コロンブス以来の純粋な思いを満たしてみたかったのは確かだ。

ふと目を外に向ける。走り行く電車の車体が、くたびれた雑居ビルの窓に写る。ここは東京。明日にはもう、ここにはいない。

ページを進める。村上春樹もまた、どうやら旅に出ることを決めたようだ。

そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。


結局こんなもん。「僕には旅に出る 理由なんてなに一つない」ってくるりも言ってたし。




電車の外には、大通りに寂しそうにたたずむすき家の看板が見えた。蒲田を過ぎると、眠たげな幾人かの乗客を乗せて、赤い電車は再び東京の地下へと滑り落ちていった。