2020/7/20の日記

『天気の子』公開から一年が経ったらしい。YouTubeでPVを見返したけれど、たった2分でこんなにワクワクさせる予告は他にないんじゃないか。天気ってのは人間にはどうすることもできないことのメタファーであって2020年の状況とリンクしてる云々も語りたいがちょっと野暮か。とにかく、「ねえ、今から晴れるよ!」この台詞がいまこそ一番求められているはず。そして、去年はしっかり「夏」があったんだよなーとか思ったりも。映画館でもう一度見たいぜ。

 

SaToA

youtu.be

最近はずっとSaToAを聴いている。とってもポップなんだけれども、ちょっと不安になることがある。心地よい不穏。なんだか今村夏子の小説を読んでいるような気分にさせてくれるバンドなのだ。

むかし、rumania montevideoというバンドがあった。それにも似ている。虚無感が溢れ出してくる感じ。こちらは自覚的でなっかったような気がするが、SaToAは確信犯だと思う。根拠はないけど。

外は暑い。蒸す。ほこりっぽい室内を扇風機が巻き上げるような昼下がりにでも聴くのがぴったりです。午睡のお供にいかがでしょうか。

youtu.be

 

KAITO『青のフラッグ』

青のフラッグ 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

青のフラッグ 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)

  • 作者:KAITO
  • 発売日: 2020/06/04
  • メディア: Kindle
 

高校三年生の太一は、ある日クラスメイトの二葉から相談を受ける。それは、太一の幼馴染・トーマへの恋慕の話であった。太一は、二葉とトーマをくっつけるために奔走するなかで、二葉への想いもつのらせていき・・・。親友か恋人か。ただそれだけならよくある青春三角関係物語なのだけれど、トーマにとって太一の存在が親友以上の重みを持ち合わせていることが、事態をややこしくする。三角の矢印が完全な形で循環する彼らの青春は、眩しさとか恥ずかしさとか美しさとかをたっぷりと含んで深まっていく。やっかいな三角関係は、夏祭りでの一件でいったんの完結を見るのだが、トーマに恋心を寄せるクラスの女王・マミの存在が再び物語をドライブさせる。思ったこと感じたことをずズケズケと口にする彼女の雄弁さに触発されてか、やがて太一たちの周囲の人物たちが自分の理想や考えをストレートに語り合うようになる。恋愛とは何か、友達とは何か、人生とは何か。若気の至りといえばそれまでだが、自分の人生に全力でぶつかろうとする高校生たちの眩しさが弾けていく。このあたりから「説教臭い」「台詞が多すぎる」といった批判も増えていった印象ではあるが、この主張の発露こそ『青のフラッグ』の最大の魅力であると主張したい。誤解を恐れずに評すれば、特にマミの台頭以降、この漫画は非常に観念小説的である。より正確に言うのであれば、観念が高校生たちに憑依した青春漫画なのだ。観念の傀儡に陥ることなく、太一・二葉・トーマの青春は完結する。最後の展開には賛否両論もありそうだが、そこまで含めてこの作品のすべてが好きである。

ここしばらく

4/27月

雨。一日在宅でデスクワークしていたせいなのかわからないが椅子に座っていると地震でもないのに揺れている気分を感じる。エコノミー症候群?憂さ晴らしに昨日配信されていたサンボマスターのライブ映像アーカイブ(すでに削除済み)を見て発狂していた。「青春狂騒曲」「美しき人間の日々」聴きながら気づいたらベッドの上ででんぐり返ししていたけどお隣に怒られないかしらん。コロナ終わったら絶対ライブ行く。

 

4/28 水

祝日の天気は晴れ。いよいよ春らしくなってきた。江ノ島でも行きたいところだが、かわりに『三体』に影響されて購入した「文藝」2020春号の中国SF特集をずっと読んでいました。昨今の中国文学に関する記事とか著名作家であるケンリュウなどの作品とかが掲載されていてそれはそれで面白かったが、個人的には、孫文の「大アジア主義主義公演」にファンタジー要素を取り入れた佐藤究「ツォンパントリ」という小説が一番よかった。歴史上の実在人物を扱った作品(時代小説とか)ってあまり得意ではなかったのだけれども、そこにファンタジー要素が加わると途端に好きになることが最近わかってきた(『三体』『熱帯』しかり)。さて、中国特集とは関係なく掲載されていた山下絋加「クロス」という中編についても語りたい。至極簡単に内容を説明するならば妻がいながら女装趣味が興じて同性愛に目覚めた男(女?)の話であり、物語としては面白く読めた。しかし、昨今の性的マイノリティあるいは人種的マイノリティを主人公とする小説が溢れかえった文壇の趨勢にはちょっとどうなんだろうと思う部分がある。それは自分がある種のマジョリティとして本来的に「理解できない」ということに由来する違和感なのかもしれないが。酷く反動的に思われるかもしれないが、感じてしまったものは仕方ない。まったく話は変わるが天国旅行というバンドの音楽にはまりそうだ。むかし、Lost in Timeというバンドが好きだったのだけれど、それと近い泥臭さとひりひりとした情動を感じる。

卓上の花瓶

卓上の花瓶

 

5/1 金

有給を取ったがどこにも行けない。しょうがないから冒険譚を読む。角幡唯介『雪男は向うからやって来た』は雪男さがしを目的としたヒマラヤ探索について描いたノンフィクション作品、なのだが、その探索の記録そのものが主題であるわけではないという点が味噌。19世紀以降の世界の探検家がどのように雪男に魅せられてきたのか、個々の物語が交差していく記述のあり方がとても面白い。

雪男は向こうからやって来た (集英社文庫)

雪男は向こうからやって来た (集英社文庫)

  • 作者:角幡 唯介
  • 発売日: 2013/11/20
  • メディア: 文庫
 

ここ二日くらいは東京の感染者数が二ケタに抑えられていたのでそろそろ光明が見えるかと期待していたが、今日は165人感染と報道されて落胆が大きい。しんどいな。

 

5/2 土

FODの会員登録初月無料を利用して、ついに『映像研には手を出すな!』のいっき見を開始!一応とびとびで放送は追ってはいたのだが、まとめてみられる喜びはひとしお。妄想が現実を追い越していくさまがどうしようもなく愛おしい。『桐島』のラストシーンがずっと続くようなものである。極めつけは第七話の水崎氏の台詞。

 

どこの誰だか知らないけど、あんたのこだわりは私に通じたぞって。

私はそれをやるために、アニメーションを描いてんだよ。

 

 

チェーンソーの振動が観たくて、死にかかっている人がいるかもしれない。

私はチェーンソーの刃が跳ねる様子が観たいし、そのこだわりで生き延びる。

大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなきゃいけない。

動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。

 

 

5/3 日

引き続き『映像研』を鑑賞。芝浜という架空の街を練り歩く回が大好きだ。複雑な水系、地下商店街、街好きには興奮必至のガジェットでいっぱいだ。こんな街を訪れてみたい。並行して青来有一『悲しみと無のあいだ』という小説を読んでいたけれど、こちらでは長崎という具体的な街が細やかに描写されていて旅情が高まる。2年前に訪れたがまた行きたい。最近、行きたいところが多すぎるので、空想地図を創作して自分の考える最強の街を表現してみたいとおもう。中学時代は一人で空想地図を作っていたな。近くを散歩していたら、鯉幟が上がっていた。こんな状況でも子供の日はしっかりやってくるんだな、と当たり前のことを考えていたりもした。

悲しみと無のあいだ (文春e-book)

悲しみと無のあいだ (文春e-book)

 

 

 

ここしばらく

4/17(金)

在宅勤務に嫌気がさしたので有給。免許期限が迫っていたため石神井までチャリを飛ばして延長手続き。途中で通りかかった石神井公園がとてもいい感じだったので落ち着いたらまた来たい。坂道を思いきり下る時、全身に受ける春の風がなんだか寂しくて嫌になる。

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4/22(水)

話題の『三体』に遅ればせながら取り掛かったが最高だ。ハリーポッター以来の興奮といって伝わるだろうか。このスケール感はやみつきになる。

三体

三体

  • 作者:劉 慈欣
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: ハードカバー
 

 

 

4/24(金)

『三体』ついに読み終わった。感動ものですね。6月に二作目が出る。しかも上下巻だ。骨太。想像力を掻き立てる面白い本をもっと読みたいという衝動から岩波文庫版『千一夜物語』全巻セットをAmazonでポチってしまいました。10万円もらえるし。

千一夜物語 13冊セット (岩波文庫)

千一夜物語 13冊セット (岩波文庫)

  • 発売日: 2004/07/10
  • メディア: 単行本
 

 

4/25(土)

『三体』の興奮が覚めやまない。あの感じを拡張させるために、森見登美彦『熱帯』を手に取る。分厚いので一度読んだきりになっていたが、熱中してしまい1日で読み終えた。幻の小説「熱帯」を巡る物語は、舞台を東京、洛内、満洲、物語内部と縦横無尽に駆け回り、摩訶不思議な出来事の連続が想像力を刺激する。このスケールのデカさが最高なのである。途中、息抜きに善福寺公園までサイクリングしてきた。緑が綺麗だ。別の世界の自分はこんな日にはどこに出かけていただろうか。

熱帯

熱帯

 

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4/26(日)

今日も天気が良い。昼飯前に散歩に出かけようと思いドアを開けた瞬間、空気が昨日までとはがらりと変わったことに気がついた。あたたかさとちょっとのしめっけ。なんだか夏の匂いが漂う。寒さに翻弄された4月も終わろうとしている。昼頃、待ちに待った『千一夜物語』全が届く。興奮。一つ残念なのはカバーが付いていなかったこと。安いので仕方ないが。13巻もあるので一気読みなんてする気はなく毎晩ちびちび読み進めようと思う。昼食後にはNetflixで『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を鑑賞。一度スクリーンで見ているが、やはり美しい映画である。光の使い方が素晴らしい。自分も海の近くの学校に通っていればもっと麗しい青春を送れたのかもしれない。たぶん無理だが。視覚だけでなく、女子高生に「青空」「世界の終わり」を歌わせる演出も憎い。

ここしばらく

4/13(月)

あまりに時間がありあまるこの機会に古典を読もうという気概が生まれたので、ひとまず解説付きの『徒然草』を読んだのだが、これが案外おもしろかった。説教臭い生真面目な本だと思っていたのだが、酒飲んではめ外して暴れまわったとかあほなことが書かれていたりして、そういうの好き。古文なのでたいそうなことが書かれているのだろうという先入観と、くだらない内容というギャップがツボ。思えば、森見登美彦とかすゑひろがりずとかが好きなのも同じ原理かもしれない。ちなみに『徒然草』で一番好きなエピソードはこれ。

 

4/14(火)

今日も今日とても終日在宅勤務。夕方ごろ、あれコンビニに行ったのって朝だっけ?昼だっけ?いや昨日だったかな?とふと分からなくなる。最近はなんだか時間がのっぺりと進んでいって時間感覚を見失いがちだ。こうやって貴重な若さが浪費されていると思うと焦りしかないが、しかたない。これが終わったら、存分に青春を謳歌したい。そんな戯言はおいといて、今日から『伊勢物語』を原典で読み砕く覚悟を決めた。中学か高校の時に授業で読んだ鬼の話がずっと心に残っていたので楽しみである。

新版 伊勢物語 付現代語訳 (角川ソフィア文庫 (SP5))
 

 

4/15(水)

くるりのニューアルバム『thaw』の配信がスタート。アルバムとしての評価は留保するが、一曲目「心のなかの悪魔」が本当にいい曲なのだ。制作時にはまさかこんな世界になってしまうとは思いもしていなかったと思うのだが、つらさの溜まった今の心情にぴったりはまる出来となっているのが不思議だ。

thaw

thaw

  • アーティスト:くるり
  • 発売日: 2020/05/27
  • メディア: CD
 

 

4/16(木)

気分転換に朝昼夕の三度そのへんを散歩。最近気が付いたがこの辺りは豪邸が多い。駅までの往復では気がつかない街の姿を垣間見らことができたのはせめてもの救いだ。サンボマスターの新曲「花束」が素晴らしい。正直あまり期待していなかったのだが、山口隆のソングライティングの才能は枯れていなかったとわかり嬉しい。さて、ここ数日読み進めていた『伊勢物語』をようやく読み終えた。途中から半ば修行のようであったが。

「#うちで踊ろう」騒動に思う

あまり政治的な問題には立ち入らないようにしてきた。あらゆる主張や表現が人を離れてイデオロギーの問題に回収されてしまう気がして気に食わないからである。それでも今回の騒動にはさすがに呆れ返ってしまって、心のだいぶ深い個所から感情のあれこれが吹き上げてきてしまっので、言いたいことを言わせてもらう。騒動の発端は、安倍晋三首相が自身SNSに以下のような動画をアップしたことにある。

 

 

そもそも「#うちで踊ろう」とは、いちいち説明するのも野暮であるが、今回のコロナ禍で興隆した”StayAtHome"運動の一環としてミュージシャンである星野源が弾き語り楽曲を用意し、自由に伴奏やコーラスを重ねて投稿してもらうように呼びかけたムーブメントである。4月2日の星野のインスタグラムへの投稿以来、このハッシュタグに対する反響は日に日に大きさを増していき、三浦大知渡辺直美といった有名人から無名の人々まで様々な人物によってコラボ動画がアップされていった。そういった運動に対し、家にいても生活に支障のないような上級国民による呑気な自慰行為だという批判もあるが、総体的に見れば暗い時勢に生きる人々を励ますための草の根運動といったポジティブな評価をなされることが多かったと思う。

今回投稿された動画では、星野源の歌に合わせて首相自らが家内で優雅に休日を過ごす姿がマッシュアップされている。タイムラインやトレンドを眺めると、いちばんはその無神経さがやり玉に挙がっているように思える。国難とも呼ぶべき有事に際してたくさん苦難に立ち会っている人々がいるにも関わらず、国のリーダーとなるべき人間が呑気に家でだらだら過ごしている姿を見せられてしまえば、それは確かに士気が下がるし、あまりに民心に無頓着が過ぎるだろうとは私も思う。マリー・アントワネットを想起するという意見も上がっていて面白かったりする。それから、音楽を政治利用されたことに対する憤りもよく見かける。当事者である星野源*1はいまだに口をつぐんでいるが、一表現者が始めた草の根運動が、権力者である首相の人気取りのために利用される様は搾取とかそういったものを超えたおぞましさを感じさせるのであろう。更に火に油を注いだのは、音楽業界が自粛圧力問題で真っ先にあおりを受けた業界であるということである。ご存知の通り、エンタメ業界に対する補償については具体的な話が進んでいない。それにもかかわらず、音楽業界が用意したムーブメントを利用するのかという批判は的を射たものであろう。

しかし、私が最も批判したいのは、単純に動画が全く面白くないという、そのことに尽きる。とにかくダサいしつまらない。いい年したおっさんの日常をいまこのタイミングで見たいと思う人なんて誰もいないだろう。いったいこの動画のどこを評価してもらえると思ったのか。黙ってないで歌えよ。下手でもいいから楽器でも演奏しろよ。スベってもいいから楽しませようとしろよ。首相という立場の知名度を利用すれば、ただ既存のムーブメントに乗っかるだけで、中身を対して考えても人々にウケるだろうというその横柄な姿勢が一番気に食わないのである。音楽家であろうが芸術家であろうが芸人であろうが、どんなジャンルに置いても無名の表現者たちは何の後ろ盾もない中で、人に素晴らしいと思ってもらえるようなものを必死になって作り出そうしているにも関わらず、こんな手抜きの動画を作って恥ずかしくないのか。イデオロギー問題にのみ還元されてしまうような狭義での政治性を抜きにして、この権力に胡坐をかいた表現的怠慢を私は非難したい。これは、エンターテインメントや芸術一般に対する、いや、市井に生きるすべての人々に対する侮辱なのである*2。だから私は今回の一件を痛烈に非難させてもらう。

*1:星野源は本当に不憫だ。首相の独善に巻き込まれただけでなく、音楽業界や左派からは首相批判の役割を勝手に期待されている。挙句の果てには、そういった板挟みに追い込まれてきたのはこれまでノンポリを貫いたツケであるという極論めいた意見すら上がっている。そういった主張こそ音楽の、そして星野源という人間の政治利用だと私は思う。

*2:音楽にあわせてラップでも披露するくらいのユーモアがあれば支持率爆上がりだっただろうに